─椎柴から銚子まで─ 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 7月中旬3連休初日。 寝坊した。7時半過ぎ
─下総橘から椎芝まで─ 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 6月下旬。快晴。 前日の線状降水帯のお
夜、キムチを食べたあとに出たプラスチックの空の容器を洗剤でゴシゴシと洗った。親の仇ほど洗ったのに、それでも容器の中身の匂いを嗅ぐとうっすらとキムチ臭がする。でも、そんなのは全然構わない。なぜならこの容器に買ったばかりの沢庵を入れるからだ。 なるべく薄く切った沢庵をこの透明な容器にびっちり入れると、まるでサングリアのように鮮やかな黄色いオシャレな物体になる。いやいや、キムチの空き容器に沢庵だ。冷静に見るとおぞましい。それをそっと鞄に忍ばせた。 出勤。始発の電車は余裕で座れ
ー佐原事件ー 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 4月下旬。快晴。 7時の電車に飛び乗った。昨日は
ー小見川から下総橘までー 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 2月下旬。 8時に家を出た。 前日
─一之江から東大島まで─ 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。 * 二月上旬。11時30分に都営新宿線本八幡駅に滑り込んだ。ミシン油のような匂いのする新宿線の車内は本八幡始発なので空いていた。 ここから一之江駅まで3駅で8分。あっという間に着いた。隣りの若いカップルは、いちゃこきながら
─篠崎から一之江まで─ 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。 * 一月八日。再び篠崎駅に降りた。前日は千葉県の新松戸でライブだった。来てくれたお客さんと三咲の立ち飲み屋で〆て帰ったので、やっぱり今日も二日酔いである。バンドやって酒飲んで写真撮ってって最高の正月である。そして、今日もこの後
─香取から小見川まで─ 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、布佐から利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 2月上旬。 朝6時05分に家を出た。 嫁と娘は義弟とスキーに出かける。私はここぞ
-佐原から香取まで- 利根川土手に登り、東に歩き出した。 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、布佐から利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。 * 1月末日。 8時50分に家を出た。 嫁と娘は義妹と11時からイチゴ狩り。17時にみ
思わずポチッてしまった。 SUMMICRON-C 40mm F2。ジャンク品とは書いてあったが、画面だとパッと見綺麗だし、まぁ、なんとかなるんじゃね?と。 買ってハズレたこともあまり無いし。 実はずっとライカSLに付ける薄型レンズ、パンケーキレンズを探していて、失った宮崎光学のテッサー35ミリを再び購入したんだけど、個体差なのか、このレンズだけ付け替えるのにエラい力がいる。さらに超薄型なので指を引っ掛かけるスペースが無く、しっかり掴むことができずにレンズのピントリング
ー神崎から佐原までー 土手に登り、私はいつもと反対の方向に歩き出した。3回の撮影行で鮮魚街道の旅は力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれた利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、この川が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。その道を銚子街道と呼ぶらしい。 布佐河岸に標識が立っていた。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。 * 1月吉日。 10時半に家を出た。 前日の酒が残り、撮影に出かけるかどうかさえ決めずにほわほわとしていたら、こんな
─北小岩から篠崎まで─ 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は新たに鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。 * 正月三日。嫁は早朝からフルタイムでパート、そのため娘は嫁の実家で預かってもらっている。嫁が朝8時に家を出たタイミングでなんとか起きれたが、凄い二日酔い&下痢である。正月二日は地元のバンド仲間と1時まで呑んでいたからだ。
─柴又から江戸川駅まで─ 鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。 やらかした! 痛恨の二度寝である。 11月、連休の初日。朝も早よからせっせとせっせと嫁と娘と前泊している義理の妹2人とその子供たち3人の計7人をディズニーランドに送り出し、その後、シンクに溜まった散らかり放題の食器を洗い、言いつけ
ー滑河から下総神崎までー 2023年10月上旬。朝の6時半に飛び起きた。iPhoneのアラームを騙してうつらうつらと寝ている場合ではない。 この日のために前日酒を抜きに抜いた。とは言え全く支度をせずにコテっとラリホー状態で寝てしまったため、慌ててカメラバッグにカメラやレンズを詰め込んだ。 今回使用するカメラはライカSL、レンズはエルマー5cm F2.8とズマロン35mm F2.8、漢の2本勝負。 両方ともシルバー銅鏡のクラシカルなコンビだ。特にエルマーの描写が最近の
-安食から滑河まで- 2023年9月吉日。 私が一人で遊びに出かける時だけ足下にすがりつく娘(6歳)を跳ね除け家を飛び出し、駅の階段をかけ降りて8時過ぎの電車に飛び乗った。車窓から見える切り取られた空は薄曇りで、いつ雨を降らしてやろうかと手ぐすねを引いて待ち構えている状況だ。今年の異常な8月の気候に比べて気温的にも幾分か楽になっただろうか。雨さえ降らなければ、絶好のスナップ日和だろう。 一澤帆布謹製の地質調査鞄の中にはマイニューギアを忍ばせてある。中古で買ったカメ
-Kumagaya is Mars- 夏の最高気温は41.1°C、冬は吹き荒ぶ上州空っ風。日本一過酷なこの街が実は火星であるという確証を得るために私は探査を続けている。 2023年8月吉日、9時に嫁の実家を出る。やはり今日も埼玉はもの凄く暑い。とくに今年は異常だ、このまま10月まで夏日が続くとか。 汗だくで鴻巣駅まで歩くと駅ナカの立ち食いそば屋「そば処中山道」が壊されていた。あの塩っぱくて黒い蕎麦つゆをもう一度飲みたかった。 ホームに着くと電車が遅れていた。車輌点