やりたいことは分かったけど、おそらく多くの人が選びたくない道なのだと思う 合理や効率がいい方が価値を持つ社会で非合理なもの絶対に大事にするというのは環境の流れに反してとてもつらいことだ 知識人ほど非合理な話題はしたくないものだろう、知識人が阻む道を進めるだろうか?
外国で日本人が希望の道筋を作り出し、彼らがいなくなった後もその道を現地の人々が受け継いでいるという話や描写をそれなりに聞く。 ここで思うのは日本の現在のどん詰まりの状態も同じように希望を見出すことはできないのかということ そして、その希望を多くの人たちが受け継ぎ、繋げていくこと
最近、腑に落ちないという感覚に悩まされることが増えた気がする 言論人の言葉に引っかかりを覚えて、違和感を良く感じる なんとなく、自分の価値観と根底にあるのが違うと感じるのだと思う 道徳と倫理が反発するときがある。道徳では弱き者が救えない時がある 頭の良さと常識の有無は比例しない
職場の人が仕事中ずっとイライラされていた。少し話す機会があったので感じた事を話すと「論理的にまとめてもらって気持ちが落ち着いた」と言ってもらった。自分の悩みも、人のことのように考えれたらいいのにな…
普通に生きていく。それが今の社会では如何に困難であるか 情報であふれかえり、学べば学ぶほど何を信じ、何を疑えばいいのか全く分からなくなる 結果損していれば、自分が馬鹿だったと責め続けてしまい、どんどん自分が嫌いになっていく 生きる基準さえボロボロな状態では生きづらさはぬぐえない
「他人の悩みは自分の悩み」 そんなことがなんとなく分かった 今日この頃! その悩みが気になるってやっぱり自分のアンテナに引っかかってるってことですよね?たぶん!w
昔と今の違いを感じる 昔の日本人はまっすぐ健全な形で働くことができた 今の時代では自分の努力や取り組みが必ずしも企業や世の中の利益につながっていないブレジットジョブというものが増えている。かつては考えられない真面目な仕事を無為にするというのが存在していることが不審を生んでいる