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▼京都・伏見の鉄分高め散策▼④:軍都・疎水・地名・・通なスポットめぐり

9か月前

ぶらり関西みて歩記(あるき) 守口宿

南京攻略戦に参加した主力の第16師団の師団長 中島今朝吾によると、12月3日の日記で、兵站の補給の見込みが立たない状態では南京攻略へは無理に向かわないと記述在り、そして数日休憩を取って、見込みが立った状態で出発している。この人物の言及のは勉強不足による妄想に過ぎない幼稚な思考。

この33連隊の戦闘詳報で、一寸調べた事ある方の中では、超有名な冊子巻末の【鹵獲表】なのだがね。 欄外の13日の【処断】された5,500人なのだが、その内太平門と煤炭港を除いた【捕虜】3,000は、何処で得たのか書かれていない。ZF殿が詳しいが、そもそも捕虜が居たのか?疑問になる。

ようやく、第16師団第33連隊の1937年の12月10日〜14日の【戦闘詳報】の解読が終わった... 戦闘詳報を読むのは、本当に辛い... 頭の中で地図とテキストの位置が理解するのに時間が掛かる。

昔の左翼には、もっと調べろとか、ものを読まないと言われていたがねぇ。 今なら戦闘詳報も読めるじゃろに。 中島今朝吾中将の日記の記述に詳細に書かれて居る訳では無かろうに。 【処断】したかどうか、中島中将本人も知らんじゃろよ。 それだけ、情報が混乱・錯綜しているわな。

SNSでは、本当に笑わせてくださる自覚してないコメディアンが居られますな。

師団の指示があるまで捕虜を受けつけるなと【命令】を出した4時間後に【捕虜】を認めるという矛盾した行動を取った16師団の佐々木支隊こと30旅団とその隷下の38連隊第10分隊が捕虜を取ったというのですな。この人物は、調べた事が無いのでしょうな。ヤレヤレ....

戦闘詳報はアテにならないか...