【仮説】生成とは運動である。消滅とは運動である。言挙げもまた運動である。 運動する万物には、世界の中心、不動の一点という裏付けが必要である。これすなわち、天之御中主神である。
神々ではなく人間の視点から捉えると、信仰に根拠はない。 この「信仰の無根拠性」からホイジンガのいう「あほらしさ」が導き出されると考えられなくもない。