父は祖母の事をぼやいていた「気位が高い」と。たぶん祖母は“身分”に囚われて過ぎていた。戦後の混乱で身をやつしても武家の気概を守りたかったのだと思う。とっくに財産もなくサムライの時代が終わって100年が経とうとしてたのに。令和に生まれていればきっと気さくな人だったろう。
人生がうまくいかない理由は、最初からおかしいためだと思っている。最初の時点で躓いたことにより、その後は何年も不遇の状態に置かれることになる。学校生活・新卒採用・物事を始めたときに置かれた状況がその典型例で、時代ガチャである。私は下積みのような状態だが、今後上向くかはわからない。
花の名前をいくつ覚えているだろうか?ヨガの瞑想中に数えてみたら25くらい、しかも幼稚園や小学校で習ったものが大半だった。私の母は花や木や草が得意で私が“雑草”と認識しているものの名前を多数知っている。もし時代が違って生まれれば大学に行って植物をもっと勉強したいと思っただろうか。。
誰にでも若い時はあった。戦前九州から大阪の看護学校に進んだ伯母さん。伯母さんの語り出す世界には色がついていた。梅田の看護学校の授業が終わったら隣の百貨店の屋上で制服を着替えて繁華街に繰り出し遊んだ。戦争中は従軍看護師で天津まで行き凍った湖でスケートして遊んだ。これは彼女の記録。