永禄12年(1569)5月17日は今川氏真と正妻早川殿が北条領へ逃れた日。家康と和睦成立により2日前に掛川城を開城した。早川殿の実家を頼りこの日に蒲原城へ。小田原に移り早川殿の兄・氏政の嫡男・国王丸(氏直)を猶子として駿河を譲ることを約束。これで実質的に戦国大名今川氏は滅亡した。
31日は旧暦にない。天文23年(1554)7月は北条氏康の娘早川殿と今川氏真の婚姻が行われた月。既に武田義信に今川義元の娘嶺松院が嫁いでいた。この年の12月に武田信玄の娘黄梅院が北条氏政に嫁ぐことになる。これで武田・北条・今川の甲相駿三国同盟が成立し三者の後顧の憂いがなくなった。