天文18年(1549)3月6日は竹千代(家康)の父・松平広忠が24歳で死去した日。死因は近臣の岩松八弥による殺害や病死など諸説ある。正室・於大の方の実家が今川を離れ織田に付いたため離別し竹千代を今川に人質として移送した。生き残るためにはいろんなもの差し出さないといけないのですね。
天文11年(1542)12月26日は岡崎城主・松平広忠の嫡男竹千代が生まれた日。母は刈谷城主・水野忠政の娘於大。跡を継いだ兄が今川陣営を離れ織田につき2年後離縁。後に織田と今川の人質でたらい回しのこの子が徳川家康として戦乱の時代を終わらせる。誰がどんな未来を創るかわからない。