思考が現実化すると言うより、超無意識の、思い込み、勘違い、刷り込みなどが現実化します。 なので、この前提条件を変えないと、何をやってもうまくいかない。深堀して原因を探すのです。これはプロが見た方が早いかな。気づけたら、あとは、やめるだけ。すると自動操縦で幸せになれるのです。
定期的に脳のデトックス。生きてる限り、新しい刷り込み、勘違いは起こる。だから、内観や自分への問いかけはやめられない。 今日の思い込み発見は、年重ねたら太ってた方がよい。シワが目立たなくなるから・・。痩せててもシワなくて筋肉ついてきれいない人いるよね。気づいてがっくり。やめます。
在るものを無いと言い、ないモノをあると言い、《ひとつ》を分けて、繋がってないモノを結び付け、ない法則やルールを並べ立て、自ら捏造してまで囚われに行き、ないモノサシで優劣に悩んだり、目指したりするのが【自我】なんだ。めっちゃバグっているからね。ネコちゃんたちの反対側。実在の反対側。
潜在意識と繋がる、 ハイヤーと繋がる、 アカシックレコードと繋がる、 宇宙と繋がる、、etc. いや、、なんで分離してる設定!??😹 自分をなんだと思ってるんだ、、笑
とある動画で、動かなくなったルンバに対して、期待しなくなったって言っていて。 「こういうのを言うんだな、期待外れって。私も気をつけよう」って。 それを聞いて、あっ、思考の世界(ジャッジの世界)じゃんってなりました。 わたしは自由のままがすき。愛のままが大好きだよ〜
自我は、知識とか思い付きから、すぐに偽善を言うんだけど、 AIのハルシネーションと同じなんだよ、、 存在しない嘘を、本当のような顔して言っている。 "いいこと"じゃなくって【囚われ】をつくってるって気づかずに。
【妄想】(頭の中)を語って、【妄想】に浸って、 ズレにズレてズレまくって、 しんどくなって、傷の舐め合いしてるのを、 スピリチュアルとは言いません!
精神世界だとか内面だとか、スピリチュアルではそういう言葉がよく使われるけど、 【思考】と《意識》の区別が付いてなくって、【思考】を内面と思ってたり、【思考遊び】を精神世界とか思ってたりする。 それ、ぜんぶ違うからね!😹
死への憧れとか終末思想とか、怖れや悲しみとかも【自我の嘘】 存在が騙されてる。 "空が落ちてくる"くらい存在しないものや、誤解したモノ(頭の中の世界観)に浸ってる。 実在は、ふつーに《頭の外》😹笑 実在は、ふつーに、《頭の外》笑
そもそも"行動"ではないんだけど、自我が行動と結び付けてるときは、"行動しないこと"(或いはしちゃったこと)が障害になったりするね😹 《頭の外》に結び付けは存在していないんだけど、結び付けるから【嘘の側】になってしまう。それはもう【ストーリー】で、《リアル》と別の【頭の中】
感情は、《答えそのもの》なんだよね。 暑い⇨涼しく 寒い⇨あったかく 辞めたい⇨合ってない そもそも、"感情をコントロール"という発想がおかしい。そこで溜まったしんどさを、さらに我慢とかするんでしょ?? "合ってない"という事実がそこに在るのに、さらにそれを無視しようとする。
"潜在意識"とかで検索すると、嘘ばかりが出てくるんだよね。中には、かなり本質に近いのもあるけど。 でも、ほとんどが自我のストーリー。新たな条件をつくってる。 まったく不足の立ち位置から変わっていない。ない位置から目指してる。 自我に餌を与えてる。自我がテンション上がってるだけ。
違う"自我"の使い方がまた出てきたんだけど、なんで自我ってこうも間違うんだろう。。😹
(つづき) アンガーマネジメントとか、"怒りは6秒"とか、坐禅とか瞑想とかしたりする。 "結果じゃなくて、過程が大事"と、自分は魚であり、魚が木に登ろうとすることをおかしいと気づかせない言葉もあるけど、、 鵜呑みのそれ、本当に本当?? 一体どこから、とんちんかんをしてますか?
(つづき) その上、心身を壊したら、自分が弱いからだとか、それを克服するためにはとか、 思考や発想は変わらないまま、同じ【見当違い】を歩み続ける。 自分責めやまわりからの評価で、できない自分にイライラしたら、それも自分が"人間ができてないせいだ"と誤解して、 (つづきます)
【思考】がどれだけあんぽんたんかというと、 自分は魚なのに、誰かが言った"木に登れるのは当たり前"とか、"努力や成長は素晴らしい"とか、"できないのは努力が足りないからだ"とかで、自分に無理強いして、自分を責めて、知識や努力、テクニックや根性論で埋めようとして。 (つづきます)
(さっきのつづき) そして、心身壊して、被害者ぶったり、 下がった自己肯定感を上げようと似非ポジしたり😹 (◯◯できてえらい!とかね) そもそも最初から適材適所、自分が何者であるかを知り、適切な場所で適切に生きれば苦はないの(欠点もない) "こうあるべきだ"がおかしいの。
【妄想】への対処とは、 具体的に例を挙げると、 "アンガーマネジメント"(怒りは6秒)みたいなことです😹笑 そもそも【ズレたこと】を自分に強制してるから《ストレスとして顕れてる》のに、それを見ようともしないで、知識やテクニックで対処しようとして、さらに自分を責めたりもする😹
(さっきのつづき) しかも【自我】は、繋がってないのを繋げて、それを真実と思っていたりする。 ほんの少し前まで(17世紀頃)、 "ネズミは汚れたシャツと小麦粉を壺に入れておけば自然発生する"と、本気で信じられていたくらい。 それくらい、【自我】の思考回路はあんぽんたんです😹
【妄想】への対処は、キリがないです😹 それこそ、"終わりのないのが終わり"が始まる😹 だって、 「明日、空が落ちてくるかもしれない」にどう対処する?? 無限の対処と、無限の(悪化する)可能性も出てくるよね笑 空なんて、落ちるわけがないし、 実際、落ちていないのに笑
川魚が海の魚と仲良くするの、ふつーにしんどいよね😹 モグラがチーターと一緒に並走するの、ふつーに死ぬし、無理だよね😹 《事実》とはそういうこと笑 合っていないのを感じながら、仲良くしたい、一緒にいたい、仲良くできないのは努力が足りない、悪いこと等。これはただの【思想】です😹
仏教では、「"諦める"とは、明らかにすること」と言われるらしい。 けど、それは少し違ってて、《事実》は最初から明らかなのだ。 《頭の外》(現実)を見てるか、【頭の中】(思想や幻想、執着)を見てるかだけなのだ。 (おわり)
《ひとつ》という事実を【概念】という虚構で分けて、 【事実じゃないモノ】を【頭の中】に構築して、その【イメージの中】を生きている。 《目の前の事実》が視界に在りながら、【頭の中】の考えや、お気持ち、鵜呑みや解釈、印象、妄想を語ってる。 "在りもしない善悪"に縛られている。
"生"とか"死"とかの【概念】(ラベリング)も、教わって"覚えたこと"なんだよね。 「◯◯ちゃん見て!子鹿が生まれたよ🎶」とか、「ママぁ〜。××ちゃん、なんで動かなくなったの?」に対して、「××ちゃんはね、死んじゃったの。もう、ここには居ないの。お空に行ってしまったんだよ」とか。