写真には理由があると嘯いても後追いになるのは否めない。 しかし撮ったその瞬間でなく後から何かに気づくのはよくある。 風景の観察は新たな目を通して重層化する。 写真は撮っただけでは終わらない。
絶妙な並び。 こういった偶然を見つけられるのもエフェメラル。 同じような風景がまた見られるわけではない。 写真があるから風景への感覚が鋭くなる。 風景への感覚が鋭敏だから写真が楽しくなる。
明るい空間。 「カメラ」の語源はまさに「明るい部屋」だが、単純に明るい場所より、暗い中で見える光が好きだ。 光と影の対比、あるいは移りゆく光。 動きを感じさせるとき、それはエフェメラルな美しさに心惹かれるとき。
電線は都市の密度。 美観などで悪く言われることも多いが、それこそが都市の風景。 錯綜が思索を呼び起こす。 電線とは才気煥発なニューロンか?
「場所」の変化の意味。 止まった時間と流れる時間、その感覚の間にある写真。 様々なできごとや感情、記憶は時間の奥へ埋もれていく。 そこに再び目を向けるための写真。 流されていくだけだった時間を意識に留まらせ、変化の意味を再考する。
「映え」とは何か。 カメラがあればとりあえず写真は撮れるが、「映える」風景は間断なく作り続けられる。 しかしそれらは瞬間的に消費され忘れられていく。 写真が簡単に撮れ簡単に発表できる限り「映え」という業から逃れられないだろう。 少しでも抗うにはとにかく撮り続けるしかない。
そこに答えがあるとは限らない。 表と裏を行き来する。 語りたいことがあるから風景を注意深く観察する。 今日はどこを歩こうか。 どこを選ぶかで一日が変わるかもしれない。 そこに意味を見つけられない。 通りすぎていくものをただ見送るだけでは。