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【百年ニュース】1920(大正9)6月19日(土)張作霖(東三省巡閲使)が奉天から北京に入る。安直両派の抗争調停のため。護衛は2個中隊(300名)に機関銃4門。日本が支持する安徽派(段祺瑞,徐樹錚)の北京政府に対し、欧米が支持する直隷派(曹錕,呉佩孚)が挑戦の意思を固め保定に集結。緊張が高まっていた。

猟犬のような策略家の忠臣

【百年ニュース】1920(大正9)7月7日(水)安直両派の衝突を前に、段祺瑞(安徽派)と張作霖(奉天派)が決裂。張作霖は北京郊外南苑(団河)の段祺瑞邸に招かれ、先日西北辺防司令官を罷免された徐樹錚(安徽派)に暗殺されかけた。日本政府は決裂情報察知できず。張は即奉天へ戻る。

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【百年ニュース】1920(大正9)7月22日(木)安直戦争に敗れた安福派の徐樹錚(西北辺防軍総司令)と曾毓雋(交通総長)が在北京日本公使館に保護要請。小幡酉吉公使は公使館付武官の東乙彦陸軍少将とも相談のうえ内密に公使館兵営内(1901北京議定書により駐兵)に収容。中国政府はもちろん諸外国にも秘匿。

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【百年ニュース】1920(大正9)8月9日(月)在中国公使小幡酉吉が、安徽派要人9名(徐樹錚,曾毓雋,段芝貴,丁士源,王郅隆,梁鴻志,姚震,姚国楨)を在北京日本公使館に収容し、保護していることを北京政府に通告。新政府の曹錕(直隷派)は反発、日本政府に即時引き渡しを要求