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【百年ニュース】1920(大正9)5月22日(土)パリ講和会議以来の日中間の懸案、山東問題につき中国が直接交渉を拒絶する旨の覚書を提示。中国側は日中両国の国際的地位と軍事力の差により、単独で日本と直接交渉をするのは不利と判断。国際会議での交渉を模索。小幡酉吉駐華公使と陳籙外交総長代理。

【百年ニュース】1921(大正10)7月30日(土) 5月の東方会議(植民地会議)以来東京に滞在していた小幡酉吉駐華公使が帰路についた。前日の晩は遅くまで臨時外交調査会の伊東巳代治,後藤新平,加藤友三郎(海相),内田康哉(外相)のほか外務省局長級も交えて懇談会が開催された。

【百年ニュース】1920(大正9)6月22日(火)小幡酉吉公使が湖南事件につき北京政府に抗議。陳籙外交総長代理は北軍南軍の行為の別なく、対外的には中央政府が全て責任を負う旨明言。長沙入城後の南軍は軍規回復。日本は賠償金支払いを要求し早期収拾を図るが解決遅れる。

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【百年ニュース】1920(大正9)7月22日(木)安直戦争に敗れた安福派の徐樹錚(西北辺防軍総司令)と曾毓雋(交通総長)が在北京日本公使館に保護要請。小幡酉吉公使は公使館付武官の東乙彦陸軍少将とも相談のうえ内密に公使館兵営内(1901北京議定書により駐兵)に収容。中国政府はもちろん諸外国にも秘匿。

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【百年ニュース】1920(大正9)8月9日(月)在中国公使小幡酉吉が、安徽派要人9名(徐樹錚,曾毓雋,段芝貴,丁士源,王郅隆,梁鴻志,姚震,姚国楨)を在北京日本公使館に収容し、保護していることを北京政府に通告。新政府の曹錕(直隷派)は反発、日本政府に即時引き渡しを要求

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【百年ニュース】1920(大正9)9月8日(水) 小幡酉吉駐華公使が外交総長顔恵慶を訪問,湖南事件の早期解決要求。6月11日に南北両軍戦闘中の湖南省湘潭市で,南軍(譚延闓)に日清汽船武陵丸等が略奪され,同社社員大津来徳(28)が銃殺された。6月13日の米国宣教師殺害事件はすでに解決。