マズローの言う「自己実現」はユング的には「自我実現」になるらしい。ユングの言う「自己実現」は「個性化の過程」における段階なので、通過儀礼で一斉に行われるものではないという。個人が、自分に適したタイミングで行うのかも。MASTERキートンがわざわざ軍隊に「志願」した理由ではないか?
MASTERキートンが通過儀礼を求め軍隊に志願したのは、考古学などの知見からだろう。だが戦闘でイニシエートされるわけではなく、実際に求めたのは心の成熟だったはずだ。筆者自身も幼少期から軍隊式の教育施設でしごかれたが自ら希望したわけでも何でもなく、多大なダメージを受けただけだった。