(アラン・バディウ「存在と出来事」) 真理は秩序の効果として構成されるのでは決してなく、もっぱらそれを支える秩序と破断することによって構成される。私は真理を開くこのような破断を「出来事」と名づけることにした。〔…〕主体とは、真理の出来事に対する積極的な忠実さにほかならない。
フーコーは『言葉と物』という本の最後を、 「〔近代が可能にした概念としての〕人間」は 「波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と結んでいます。