Masayuki Saitoh

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最近の記事

【読んだ】美馬達哉『臨床と生政治 〈医〉の社会学』

医療に関わる色んなトピックの論考がなんと16本も収録されているので、全体を通底する話の筋を探りながら読んだ。一貫しているのはおそらく、医療の客観性や権威や専門性の根拠が揺らいでいる状況ではなかったかと思う。無論、社会構築主義に基づく医療化批判や、医療社会学で言われる医師と患者の非対称的な権力関係や役割分担の問い直しは前からやられていたのだと思うのだけど、どうもそれだけには止まらない面白さがあるような気がした。一方には客観性や権威や専門性を再構築しようとする医療側の不断の動きが

    • 【読んだ】マイケル・リンド『新しい階級闘争』

      こないだ『シビル・ウォー』を観たのだけど、そういや今の大統領選挙の背景や、アメリカの政治状況がイマイチよく分かってなかったなと思い、話題になっていた『新しい階級闘争』を読んでみた。描かれていたのは西洋諸国内で労働者同士での分裂と、それによってポピュリズムが蔓延した過程であり、まさに、という感じだった。 20世紀半ばまで成立していた「民主的多元主義」においては、主に組合を通じた労働者の組織化と交渉が機能していたのであり、著者はそれを「拮抗力」と呼ぶ。しかし1970年代から前世

      • 【読んだ】スナウラ・テイラー『荷を引く獣たち 動物の解放と障害者の解放』

        障害権運動と動物権運動を交差させる。キーになるのは、「健常者中心主義(=エイブリズム)」への徹底的な批判と、「不具(crip)」の実践である。無論、”crip”とは強烈な差別表現であり、訳者はそのニュアンスを再現するために「不具(かたわ)」という訳語をあてる。テイラーは、自らが浴びせられてきた「不具」という言葉を奪還し、意味を書き換える。「不具化」とは、障害者差別と種差別の双方の根底に共通して横たわるエイブリズムを相対化し、人間同士、あるいは異種間の関係を新たに構築するための

        • 【読んだ】藤原辰史『給食の歴史』

          『トラクターの世界史』に続けて『給食の歴史』を読んだ。2冊に共通するのは、国家や戦争に関わる世界史的な転変を「食」に関するトピックを通じて記述する手法だった。それはいわゆる「正史」を裏面からなぞる。例えば『トラクターの世界史』は、T型フォードと余暇の発明ではなく、トラクターの発明による農業生産の変化と共同所有制度の発生からモータリゼーションの歴史を描き出す。『給食の歴史』でも藤原は、ペリー来航とララ物資のどちらが日本史を大きく変えたのかと問いかける(P101)。 なぜ「食」

          【読んだ】ピエール・クラストル/酒井隆史『国家をもたぬよう社会は努めてきた』

          クラストルは南アメリカでの諸部族のフィールドワークを通じて、「国家に抗する社会」を発見した。そこに国家が存在しないのは欠如や未熟さの故ではない。国家の出現を積極的に拒絶するため、複雑な論理と制度によって権力の流れが統御 ——コード化—— されているのだという。クラストルのこの発見は、国家の存在が必然でも普遍的でもない事を明らかにする。例えば文明の発展に伴って国家が出現する、というような進化的発想は斥けられる。それは社会契約説や史的唯物論といった、西洋近代哲学の前提を脱臼させる

          【読んだ】ピエール・クラストル/酒井隆史『国家をもたぬよう社会は努めてきた』

          【読んだ】仙波希望『ありふれた〈平和都市〉の解体 広島をめぐる空間論的探究』

          昨年、初めて広島を訪れた。丹下健三による平和記念公園や原爆ドームの空間構成は圧巻だったのだけど、そこで強く感じ取ったのは戦後高度経済成長のイメージだった。公園内に設けられたいくつかの塔や、原爆慰霊碑と平和の灯、あるいはそれらを繋ぐ道、これらの意匠やコンクリートの質感は、同時期に作られた地方の公共施設や、あるいは1964東京五輪や1970大阪万博の際に作られた建築や空間との類似を想起させる。広大な空間をフラットに慣らして軸線構造を強調するというそのやり方には国土開発の欲望も重な

          【読んだ】仙波希望『ありふれた〈平和都市〉の解体 広島をめぐる空間論的探究』

          【読んだ】シャンタル ・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』

          熟議民主主義を批判して闘技民主主義を説いた人でしょ、くらいの雑な認識しか無かったので読んでみた。基本的に刊行当時の政治状況に即した議論ではあるけど、大枠は今の状況に直結する話だと思った。政治の本質は「敵対性」であり、それを消す事はできないと。したがって民主主義において必要なのは合意形成ではなく、「敵対」を「闘技」に昇華する事なんやで、と。 批判されるのは刊行当時(2005年)のリベラリズム陣営であり、彼ら/彼女たちが前提にしていた「ポスト政治的」ビジョンである。いわく、かつ

          【読んだ】シャンタル ・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』

          【読んだ】北川眞也『アンチ・ジオポリティクス 資本と国家に抗う移動の地理学』

          資本運動にせよ行政権力にせよ、あるいは人道主義に基づく包摂にせよ、それが立脚する地図学的理性と地政学的権力を徹底的に拒絶し、「移動の過剰性」「過剰な主体性」「過剰な欲望」を増大、増殖、爆発させよと全編で挑発する。国境や領域に基づいた統治を失効させたのは貪欲な資本運動ではなく、移民や労働者や被植民者たちの闘争がもたらした統治不能性なのだ、という反転がアツい。 地図学的理性とは何か。それは「この世界を地図そのものへと改変」し、「世界を客観的、安定的、 そして瞬時に見ることを可能

          【読んだ】北川眞也『アンチ・ジオポリティクス 資本と国家に抗う移動の地理学』

          【読んだ】田野大輔・小野寺拓也編著『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』

          〈悪の凡庸さ〉とか〈凡庸な悪〉という言葉が使われる時、組織の論理に則って上からの命令を粛々と遂行する「平凡な小役人」みたいなことがイメージされてしまっているけども、それは間違ってると。 ひとつには、アイヒマンは決して「平凡な小役人」ではなかった。彼はむしろ「新しいアイディアを実行に移す、創造的で非官僚主義的人物」(P42)であり、組織能力や交渉能力もめちゃくちゃ高く、自らの業務がもたらす帰結も十分に理解していた。もちろん、ここでの「創造性」は即ち「破壊性」である(P43)。

          【読んだ】田野大輔・小野寺拓也編著『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』

          【読んだ】暮沢剛巳『核のプロパガンダ 「原子力」はどのように展示されてきたのか』

          広島の平和記念資料館や長崎原爆資料館、東日本大震災・原子力災害伝承館、各地の原発PR施設等々、原爆投下や原子力災害、原子力利用を巡る展示やキャンペーンについて論じた本。印象に残ったのは、こうした展示がいかに政治的思惑や駆引や偶発的要因によって規定されているのか、という事だった。 本書の序盤、東日本大震災での原子力災害展示を巡って、「事故」と能動的に向き合うという発想の転換が示される。「事故」は定義上偶有的に生じるものであり、受動的に向き合う他ないように思えるけれども、ヴィリ

          【読んだ】暮沢剛巳『核のプロパガンダ 「原子力」はどのように展示されてきたのか』

          【読んだ】松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』

          病跡学において「統合失調症中心主義」と「悲劇主義的パラダイム」が支配的になった経緯と、それへの抵抗と脱却について。プラトンからドゥルーズに至るまで、西洋思想史の中で「創造と狂気」という問題がいかに扱われてきたのかを通史的にみることで、「病跡学を可能にした思想史的条件」(P39)を論じる本かと。 そもそも「病跡学」とは、傑出した作家や画家の「作品の中に、病からの痕跡を見出し、その精神の歩みを跡づけてみせること」(P20)。病跡学の特徴である(あった)「統合失調症中心主義」とは

          【読んだ】松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』

          【読んだ】グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学 遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』

          戦闘ドローンは、戦争を「戦闘行為」から「殺害行為」に変えたという。その技術的条件は「脆弱性=ヴァルネラビリティ」の克服である。訳者によれば脆弱性とは「被害をうける可能性」の事(P22)。安全な環境から遠隔操作での戦闘を可能にするドローンは、「脆弱性をもった身体を過酷な環境から撤退させることができる」(P33)。身体が同じ空間を共有しない以上、敵から攻撃を受ける可能性は原理的には無い。従ってそれは、「前線、単線的戦闘、対面的な衝突といった概念に立脚した従来型の戦争モデル」(P4

          【読んだ】グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学 遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』

          【読んだ】若林幹夫『ノスタルジアとユートピア』

          人間の存在理解の根拠が、いかに社会の中で立ち現れるのか、という話だと思った。最終的に示されるのは閉塞的な状況にも思えるけど、現状を嘆いて溜飲を下げるような読み方は勿体ない。人間と社会の関係を根源的に考える想像力がめちゃくちゃにかき立てられる。 知覚や経験は常に〈いま・ここ〉に現れるけれども、人間は言語やシンボルを用いることで環世界を超えた意味と広がりを見出し、〈他の時間〉や〈他の空間〉との関係の中で経験を作り出してきた。そうして拡張された世界は文化的な意味をもち、社会的に共

          【読んだ】若林幹夫『ノスタルジアとユートピア』

          【読んだ】山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』

          『アンタゴニズムス』で一番面白かった、「嫉妬」という情念を通した政治論。『アンタゴニズムス』では「民主主義」というテーマが先にあり、民主主義の根源がいかに雑多で不純で不合理なもの(=〈公的ではないもの〉)に規定されているかを示すひとつの題材として嫉妬という情念が論じられていたのに対し、本書では終始嫉妬感情の性質や面倒くささから論を組み立てていて、これもとても面白かった。 通底しているのは「嫉妬感情の遍在性」(P194)であり、「嫉妬心が消えないという前提」(P236)かと。

          【読んだ】山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』

          【読んだ】グレゴワール・シャマユー『人間狩り 狩猟権力の歴史と哲学』

          今日に至るまでの統治権力の系譜として読んだ。「人間狩り」とは隠喩ではなく、人類がこれまで様々に行ってきた具体的な所業であり、本書はそれを「狩猟権力」として、西洋文明の拡大の歴史の中で描き出す。とりわけ焦点化されるのは、人間狩りが正当化されてきた手続きの歴史について。ギリシア哲学とキリスト教という西洋近代の根源にあるふたつの論理が恣意的かつ狡猾に再構成されながら、人間狩りを正当化する慣習や制度が作られてきた系譜を論じている。 ポイントは、狩るものと狩られるの間に引かれる境界線

          【読んだ】グレゴワール・シャマユー『人間狩り 狩猟権力の歴史と哲学』

          【読んだ】石川義正『存在論的中絶』

          人工妊娠中絶やそれに関わる争点について、当事者による社会運動を丁寧に踏まえつつ、それを思想的課題として位置づけ直す本かと。一貫して中絶が肯定されるのだけど、それは、中絶という概念が、人類一般、あるいは存在一般の根源を規定するものだからである。つまり本書は中絶に関する思索を通して、我々の存在の根本や生殖という概念を再検討するのだけど、同時にそれは性差別と優生思想に根深く規定された社会に対する徹底的な批判でもある。中絶をめぐる社会運動史はもちろんの事、アリストテレスの形而上学から

          【読んだ】石川義正『存在論的中絶』