1月11日 クジラの子らは砂上に歌う 第3話 序盤なのに、結構命が燃えました。 近頃のトレンドなのか、生きていてほしいキャラクターがちゃんと死ぬ。 ぼくが幼い頃、親が見ていたドラマの定番のエンディングのひとつは、死でした。 死の扱い方も、フィクションの中で変遷があるのでしょう。
1月10日 クジラの子らは砂上に歌う 第2話 感情がない、でも本当は感情がある戦闘少女。 ぼくはこの存在が好きなのでしょうか。 ファレナとかサイミアとか、ファイナルファンタジーを想起させるようなネーミング。 未来的でノスタルジックな印象を受けます。 次が早く見たい作品。
1月24日 クジラの子らは砂上に歌う 第12話 中途半端に終わってしまった。ファンもつくり手もやるせない気持ちでしょう。 アニメーションにはもっと対価が支払われるべきです。 この誇りや歓声には、もっと実態が伴っているべきです。 まるで神様。崇められ支えとされ、無償の愛。
1月23日 クジラの子らは砂上に歌う 第11話 本能で分かっていること。猿が木に登れること、火が熱いこと。 自分の大切が、ほかの誰かの大切になっている時のモヤモヤした感情。嫉妬もきっとまた、必要のない本能かもしれません。 お気に入りの物語が終わりに向かう。心地よい淋しさです。
1月22日 クジラの子らは砂上に歌う 第10話 人々を埋葬する様子が、FF10の異界送りに似ています。人の死すら美しく描く、フィクションの騙し絵。見入ってしまうのは、それがフィクションだから。 タイトルの出方も好き。 ヴァイオレット・エヴァーガーデンを想起させる、こだわり。
1月18日 クジラの子らは砂上に歌う 第8話 エマの舞にあわせて輝く手が伸びていく様子は、ナウシカでの描写を少し想起させる。 いろんな作品に触れる中で、ジブリというフィクションの存在感を感じることがある。 ぼくがそう受け取るのか、あるいは作り手がインスパイアされるのか。
1月17日 クジラの子らは砂上に歌う 第7話 エマの歌唱シーン、美しかった。歌と少女の舞は惹き付けられるものがあります。ヌースファレナの化身なのか、見るものを圧倒する不気味さもありました。 誰も傷つけることなく生きられたらいいのに。 そんなのただの夢だって、わかっている。
1月13日 クジラの子らは砂上に歌う 第4話 サイミア、感情でコントロールするという点がいい。 人が感情的になった時、それが視覚的に表現され、物理的に力を加える。 魅力的なフィクション。 そういう意味では、暴力や声色、涙など、サイミアに近いものはある。 心を動かします。
1月9日 クジラの子らは砂上に歌う 第1話 数年前に漫画で試し読みした記憶がある作品。 石見さんがヒロインをしているということで視聴開始。 まず、もう世界観が好きです。 作画も宗教的な思想も、主題歌や音楽も、これぞファンタジックフィクション。 そして、また「クジラ」です。