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小さな思い出を花束に、人生へ
ここ2日間、家族に連れられちょっとした外出をした。
旅行というほどでもない、日常の延長みたいなものだった。
メンバーは母と妹と私、そして飼い犬で3人と一匹だ。
一昨日は、夕方に近所の川へいき、昨日から今日の未明頃まではペルセウス座流星群を見るため、滋賀県の方まで深夜のドライブをしていた。
川に行った日は、もう夕方で、ぼーっとしてたら、母が川に行こうと誘ってくれたのでサクッと準備して出発。
犬に涼しい場所で思いきり遊んでほしいからと、近所の沢といっても差し支えのなさそうな、小さな滝のある川に向かった。
周囲は木々に囲まれており、ひぐらしの声がこだましていた。
あたりは新鮮でみずみずしい香りが漂っていて、近所でお手軽に秘境感が味わえる。涼しいお陰で犬も元気よく歩いている。
川に着いたら、犬は我慢できないとばかりに喜び勇んで川の方へ駆けて行った。ジャボーンと勢いよく水飛沫が飛ぶ。
私も靴を履き替えて川に入った。川は浅く、深い所でも膝下にも満たないが水の心地よい冷たさに夏を感じる。
犬と走り回ったり、木の棒を投げて取ってくる遊びをしたり、滝の近くまで行って、巨石の大きさに驚いたりした。
いつの間にか満足したのか、犬はお風呂に浸かるみたいに川の中で足を折りたたんでくつろいでいた。
私も手持ち無沙汰になり、プラナリアを探したり、辺りを見渡していた。
川辺にはハグロトンボがヒラヒラと飛んでいて、辺りの静けさから羽音まで聞こえそうだった。
そうやって休んだり遊んだりを繰り返していると、木陰から赤い夕日が差してきた。懐かしい。何度も夕焼けを見たけれど全く同じ色の夕焼けなんてなかったのだろうと思う。
ひぐらしも鳴き続けている、夏の終わりが近づく足音がした。
本格的に夕暮れになり暗くなってきたので、そろそろ帰ろうと母が妹に言った。妹はいじらしくも帰るのを渋っており、川底のエビをずっと捕まえようとしていた。母も見かねて手伝う。
その様子を少し遠くから眺めて、またどうしようもない懐かしさを感じた。幼少期の自分と妹が重なった。それが悲しくも愛しく感じた。
翌日は星を探した。仕事から帰ってきた母から、ペルセウス座流星群が見頃だから見にいこうと夕食後に提案された。また急なことを言い出したなと思ったが、自然と口角が上がった。
夕食後に桃と葡萄を平らげ、車に乗って出発した。
目的地はなく、どこか暗くて空の開けた土地を探した。
初めは、近くの空き地に向かった。残念ながら空が明るすぎて天体観測には不向きだったので1時間程度の滞在だったが、犬が気持ちよさそうに駆け回っていたのでよかった。
その後は、ひたすら天体観測にベストな場所探しのためドライブをしていた。窓を開けて空を眺める。頬にあたる風は緑と夜の香りがして、その涼しさは夏の盛りの終わりを伝えてきた。
途中、コンビニに寄ってアイスコーヒーとおやつを買ってもらった。旅の道中のコンビニが好きだ。特に夜はコンビニの明るさにホッとする。しばらくして到着して、車を止めた。天体観測の始まりだ。
初めは座って上を見上げていたが、次第にみんな地面に寝転んで流れ星を見てワイワイ騒いだり、星の写真を撮ったりと終始和やかな雰囲気が漂っていた。数時間程度だったが充実で満ち満ちていた。
帰りには、やはり祭りの後のような一抹の寂しさはあった。帰りの道中は満ち足りた気分になりつつも、あと何回こういった思い出を作っていけるのだろうかと考えていた。
特別遠いところへ行くわけでもないけど、その提案でどことなく浮足だった家族が、いそいそと準備を始める様子を眺めるのが好きだ。
道中に立ち寄ってコンビニで飲み物とかお菓子を買うのもウキウキする。
目的地があやふやな旅も好きだ。その場その場で選択を迫られるのもまた楽しい。
最近、そうした日常のちょっとしたことに愛おしさを感じる。
そのきっかけは多分、ペットロスもあるし、
散歩でよく通る神社の標語の所に
人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ
という芥川龍之介の名言が貼られていて、
通るたびに立ち止まって黙読、そしてその通りだよなと頷く。
日常は非日常なんだ、と私は思う。
ちょっとした誤差で日常は崩れてしまう。
当たり前の日常なんて本当はないんだと、この言葉を見るたびに背筋が伸びる。だからこそ、こうした日常の些細な幸せを大事に抱えていきたい。
今回の外出もそうだ。
日常の延長線上で、1年もすれば記憶は薄れて、10年もすれば忘れちゃうようなことかもしれない。
でもそんな瞬間が愛おしく、ずっとこんな穏やかな時間が続いて欲しい。記憶の褪せるままにはしたくなかった。
思い出になるのが嬉しくも名残惜しさを感じている。こういう小さい日常の些細な幸せが大事なのだと感じた。
小さい思い出が、人生を彩り、いつか来る別れの辛さを耐え難くしつつも乗り越えさせる力を持っているのだ。
毎年夏になると、こうして母は思い立ったようにどこかへ出かけようと誘ってくる。
私には思いつきに見える毎年の外出も、きっと母なりの愛で、
子供たちのために時間作りに苦慮しつつも、思い出作りのため連れ立ってくれていたのだと大人になってやっと気づく。
自分はとうに成人してしまったが、来年も再来年もこうしたさりげない思い出を家族と共に残したい。
人生にそんな時間をたくさん作って、花束みたいに彩っていきたい。
こんな穏やかな日常が続くことを思い出の中の流れ星に祈った。
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