【劇評354】歌舞伎座夜の部。『婦系図』と『源氏物語』に伝承の意味を考える。七枚。
歌舞伎の伝承について
歌舞伎の伝承について、この頃考えに沈む。
十八代目勘三郎、十代目三津五郎が亡き今、大切なリングが失われた。彼らより年代が上の大立者と若手花形へいかに藝が伝えられるのか。先頃、松竹から発表になった三大名作、『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』の連続上演も、この危機意識がようやく現実の演目に反映したとも思えてくる。
さて、錦秋十月大歌舞伎、夜の部は、鏡花の『婦系図』から。本来、新派の演目である。「本郷薬師縁日」「柳橋柏家」「湯島境内」が出たが、「本郷薬師縁日」の賑わいは、歌舞伎ともまた違う新派の風情があり、おもしろく見た。
古本屋(松之助)と値段のやりとりをするとき、仁左衛門の主税が、明治時代の書生の面影を写している。また、学問一辺倒に生きていたわけではなく、俗なところのある人間をすっと観客に手渡す。
新派の息
なぜ、新派の息が身についているのか、一瞬、いぶかしく思った。ところが考えてみれば、新派は、孝夫を名乗っていた仁左衛門を客演にたびたび迎えていた。もちろん、仁左衛門だけではなく、二代目吉右衛門や十二代目團十郎も参加していたのは、そんな昔の話ではなく、昭和の終わりから平成にむかっての時期だった。
立役ばかりではない。玉三郎もたびたび新派に加わっていた時期があるからこそ、有吉佐和子の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』のように文学座の杉村春子が得意とし、新派でも上演されたた演目を、玉三郎が歌舞伎として受け継ぐような公演も生まれたのだと思う。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、平成十九年に歌舞伎座で、歌舞伎の公演として上演されている。冒頭の勘三郎や三津五郎もこの舞台に加わっている。この連続からすると、『婦系図』が仁左衛門、玉三郎で歌舞伎座にかかるのは、不思議ではない。
彌十郎と萬壽の藝
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。