【劇評218】南北、郡司学、仁左衛門、玉三郎、奇跡の巡り会い、ふたたび。
歌舞伎では、一座を代表する女方を、畏敬もって立女方(たておやま ルビ)と呼ぶ。
六代目歌右衛門、七代目梅幸、四代目雀右衛門、七代目芝翫は、歌舞伎座の立女方にふさわしい威光を放っていた。玉三郎は、歌舞伎座のさよなら公演のあたりから、その名に、ふさわしい存在だと私は思っていた。
詳しい事情はわからないけれども、いつの間にか、特別舞踊公演などの独自の公演が増え、重い演目の役を勤める機会が少なくなっていった。歌舞伎の世界にとって、このような動向は、とても残念なことだと思っていた。ところが、コロナウィルスの影響があってか、仁左衛門とともに興行の中心に、玉三郎が還ってきた。
二月歌舞伎座の『於染久松色読販』そして今月の『桜姫東文章』は、玉三郎の当り役であり、舞踊とは異なる芝居の巧さで、歌舞伎座を支配した。なんとも、うれしい出来事だった。
さて、今月の『桜姫東文章』は、上の巻と題して、発端、稚児ヶ淵の場から、三囲の場までが出た。四世南北の精華というべき、稚児ヶ淵の場は、仁左衛門の清玄と玉三郎の白菊丸が心中を図る。
場面は暗いが、花道から玉三郎が出たとき、その瑞々しい若衆ぶりに胸を打たれた。この世にはありえない美として、修業中の僧に愛された稚児がいる。ためらう清玄を置いて、あっけなく白菊丸は、荒々しい淵に身を投げる。
十七年後にはじまる序幕からのふたりの苦悩、輪廻に怯える人間を描いてすぐれている。
文化十四年の初演から、昭和四十二年の通しまで、途絶えていた場である。補綴の郡司正勝の圧倒的な力量が感じられる。郡司学と呼ばれる独自の歌舞伎研究を追い求め、国立劇場の創成期に力を尽くした。
郡司正勝の仕事は、たんに台本の仕立て直しではなく、歌舞伎のなかで観たい絵が確固としてあり、その実現に向けて演出として主だった役者と折り合いを付けていく力であった。
今回の稚児ヶ淵も、郡司演出の型が残っており、仁左衛門、玉三郎の充実によって、ふたりの悲恋が、幻のように浮かび上がった。この場を観るだけでも、久し振りに上演した意味があるとさえ思った。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。