菊之助の『義経千本桜』の通し。知盛、権太、忠信。どれを観る? すべて観る?
『義経千本桜』の通しと聞くと、忘れられない想い出があります。
二○○一年に、中村勘三郎(当時、勘九郎)が隅川河畔で上演した『義経千本桜』と浅草がふっとわきあがてきます。。
この古典歌舞伎の代表的な狂言を、勘三郎は、平成中村座で、知盛編(渡海屋、奥座敷、大物浦)、権太編(椎の木、小金吾討死、鮨屋)、忠信編(道行、川連法眼館)の三部に分け、交互上演しました。
知盛、権太、忠信は、歌舞伎でいう「仁」に隔たりがあり、ひとりの俳優が演じ分けるのは困難であると考えられていたのです。
勘九郎の権太、忠信にはすでに定評があるが、知盛は初役でした。その成果がいかなるものか案じられました。
それにもかかわらず、勘九郎の知盛は、平家の御曹司としての風格、死を覚悟しての悲壮美にすぐれていたと思います。なぜか、歌人の俵万智さんと一緒だったので、楽屋に訪ねて、そんな話をしたのを覚えています。
俵さんの感想はこうでした。碇を背負っての見得では、解脱した宗教者の面持ちさえ感じられたとのことでした。
「仁」という歌舞伎の概念に囚われていた私ははっとしました。
勘三郎はコクーン歌舞伎や平成中村座で挑戦的な仕事をしていましたが、必ずしも革新的な演出によらなくてもいい。歌舞伎の型に新しい息吹を入れれば、これまでになかった自分物像が現れる。知盛編はそう語っていたように思います。
昨年、3月、尾上菊之助は、国立劇場小劇場で『積恋雪関扉』の関兵衛実は大伴黒主を出して観客を驚かせました。
菊之助が『積恋雪関扉』を出すといえば、だれもが、小野小町、墨染実は小町桜の精を勤めるとばかり思ったでしょう。。
菊五郎家の御曹司とすれば、華やかな若手女形から白塗りの二枚目、しかも世話物を中心にいくはず。そんな思い込みを裏切って、関兵衛実は大伴黒主を演じました。実に大きな舞台でした。
あまり公にはされていませんでしたが、この演目を出したのは、岳父吉右衛門のすすめであり、実際も厳しく懇切な指導があったのだといいます。
あれから一年、菊之助は、『義経千本桜』の通しを国立劇場小劇場で出しすと速報がでました。
なんと。
挑戦的な企画の意図をここでは探ります。また、A,B,Cとあるうちで、どのプログラムを優先してみるべきかを書いてみたい。
まずは、Aプロ。鳥居前、渡海屋、大物浦。
鳥居前は、平成二十四年の七月、巡業で出ています。私は江戸川文化会館で観たが、菊之助がこの荒事に挑んだのには驚きました。このときは、故・十代目坂東三津五郎に教えを受けたと聞いています。
「この忠信は、荒事としては軽量級なので(当時の菊之助が挑戦しても)大丈夫」と三津五郎が語っていました。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。