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【劇評368】六法の意味を問う「きらら浮世伝」は、革命的でさえある。
鳥屋から本舞台へ。花道のつけ際から鳥屋へ。役者の力感がほとばしる「六法」はいつも観客をしびれさせる。
二月大歌舞伎昼の部は、巳之助、隼人、小太郎による『鞘当』である。きっちり型の決まった演目は、歌舞伎の役柄の類型をどれほど演ずる役者が理解しているかが問われる。
巳之助の丹前六法
今月の『鞘当』は、まず、巳之助の丹前六法がいい。十代目三津五郎の後継者として、型をゆすがせずに、精一杯勤める。だからといって、観客を当て込んだりしない。父の没後、きっちりと守ってきた役者としての姿勢が結実した「丹前六法」だった。六法は、「踏む」そして「振る」所作であるが、軸に揺るぎがあってはいけない。力感におぼれてはいけない。『鞘当』は、歌舞伎の創始者たちとその藝をしのばせる演目だが、巳之助の六法は、今を生きるだけではなく、過去へ、さらにその奥へとつながろうとしている。この「出」は、深編笠を取ったときの顔へとつながっている。巳之助の作った顔は、古怪にして謎めいている。隅々にまで神経の行き届いた不破伴左衛門を観た。
雨に濡れ燕の隼人
さて、売り出しの隼人は、今月も奮闘している。歌舞伎の味がしみこんでくるのは、『鞘当』のような演目で、経験値を重ねていくことが必須である。新作ばかりではなく、様式を踏まえた狂言に役を与えられているところに、隼人を花形として育てていこうとする歌舞伎界の意志を感じた。なにより、雨に濡れ燕の羽織衣裳。春雨に燕の飛び交うさまが小袖に描かれている。こうした衣裳が文句なく似合うのは、若手花形の条件だろう。隼人は、長身を持てあましていると感じることがあるが、生来の柄が名古屋山三で生きた。
止め女は児太郎。ふたりの諍いを収める役だが、技巧よりは貫目が不可欠な役である。こうした座頭級の役を若くして修業していく幸福を思う。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。