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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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記事一覧

【劇評370】サイモン・スティーブンスのダブルビルが立ち上げる悪夢に満ちた世界。

 世界は暴力にあふれている。  私はNHKBSのワールドニュースを毎日録画している。時間を作って、西欧諸国ばかりではなく、周辺の国のニュースも見る。そこにある映像や視点は、まさしく多様であり、連続して観ると大国のごまかしなど霧散する。問答無用の現実が突きつけられる。   近年、少なからず、パレスチナやガザ地区の現状を踏まえた舞台を観ることが出来た。単に政治的、社会的な告発に終わらぬ作品もあった。けれども、現在進行形の戦争について、演劇が果たす役割について突きつけられた。演

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【劇評家の仕事7】入稿原稿を渡した翌日に、改めて思うこと。いくつか。

 昨日の夕方、編集者に入稿原稿を送った。目次、索引、初出一覧、あとがきは先週のうちに完成していたが、問題は本文で、日曜日ぎりぎりまで直していた。本来は、一月中に入稿する約束だったから、一週間ほど遅れてしまったことになる。  今回の単行本は、この八年間、書いてきた劇評を集めている。早川書房の雑誌『悲劇喜劇』に七年あまり連載してきた『シーン・チェンジズ 長谷部浩の演劇夜話』全四十三回。加えて、文藝春秋の文芸誌『文學界』に書いた劇評四本を収めた。くわしくは、刊行時に「あとがき」を

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【劇評369】勘九郎、七之助、鶴松、勘太郎。観客の胸を熱く揺さぶる「文七元結」。

熱く、激しい『人情噺文七元結』を観た。 「文七元結」といえば、中村屋にとって大切な演目である。勘九郎の長兵衛、七之助のお兼、鶴松の文七、勘太郎のお久。いずれも初役だが、まぎれもなく自分たちの「文七元結」を創り出そうとする意欲に満ち満ちている。  故・勘三郎は、芝居の話になると、左の胸を叩いて、「ここだよ、ここがなければね」と何度も言った。単に役を演じるのではなく、役を生きること、しかも、懸命で必死に生きる人間に熱い思いを寄せることが大切なのだと私は受け取った。  今回の「

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【劇評368】六法の意味を問う「きらら浮世伝」は、革命的でさえある。

 鳥屋から本舞台へ。花道のつけ際から鳥屋へ。役者の力感がほとばしる「六法」はいつも観客をしびれさせる。  二月大歌舞伎昼の部は、巳之助、隼人、小太郎による『鞘当』である。きっちり型の決まった演目は、歌舞伎の役柄の類型をどれほど演ずる役者が理解しているかが問われる。 巳之助の丹前六法  今月の『鞘当』は、まず、巳之助の丹前六法がいい。十代目三津五郎の後継者として、型をゆすがせずに、精一杯勤める。だからといって、観客を当て込んだりしない。父の没後、きっちりと守ってきた役者と

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【劇評368】藤井隆、入野自由が人間の愛を問う『消失』。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチの世界に生きる藤井隆を観た。  今回、KERA CROSSで上演された『消失』(KERA作 河原雅彦演出)は、KERAの主宰するナイロン100℃公演のために、二○○四年に書かれ、一五年に再演されている。劇団員の大倉孝二、みのすけ、犬山イヌコ、三宅弘城、松永玲子に、八嶋智人が客演している。どちらも同一キャストで上演されている。KERAにとって知り尽くした劇団員の技術、個性を踏まえたあてがきであり、この配役にこだわりがあったのがわかる。  この劇

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【劇評367】夜の闇が劇場に流れ込むヌトミックの『何時までも果てしなく続く冒険』の斬新。

 ソリッドな音楽劇を観た。  ヌトミックの『何時までも果てしなく続く冒険』(額田大志作・演出・音楽)は、十一年前に新宿の夜の街で亡くなったノラ(原田つむぎ)をめぐって、さまざまな人物が自分の心象風景を重ねあわせていく。第一発見者になった元ホストのムサシ(矢野昌幸)と客のまどか(佐山和泉)が、街をクルーズしていく情景から劇は立ち上がる。  やがて、ノラの姉、真阿子(薬師寺典子)やノラの幼馴染みジャスティス(長沼航)の回想が交錯し、謎の女ユッキー(emohoi)の存在が浮かびあ

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【劇評366】隼人の華。右近、壱太郎の陶酔。新春歌舞伎座夜の部の愉しみ。

 スターシステム  歌舞伎はスターシステムをとっている。ただし、スターは、自然発生的にできるわけではない。制作、および脚本、演出、振付らのスタッフワークと戦略があって、次の花形が登場する。  中村隼人は、スーパー歌舞伎の二○一九年の『オグリ』、二○年の『ヤマトタケル』でこのシステムに乗るかと思われたが、新型コロナウイルスに阻まれた。  昨年からの『ヤマトタケル』主演とNHK BSの時代劇『大富豪同心』は、再度、スターダムに乗せて行こうとする歌舞伎界の意志を強く感じた。

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早稲田の演博で『築地小劇場100年 新劇の二○世紀』を観た。

 10月から早稲田大学演劇博物館で開かれていた展示『築地小劇場100年 新劇の二○世紀』の会期終了(1月19日)が迫っている。早稲田には縁があって、週に一、二度は訪ねているのにもかかわらず、この展示を見損なっていた。  展示は三章に分かれている。第一章は、「築地小劇場まで」。明治二十年代には「新演劇」と呼ばれる新しい演劇が生まれた。この時代を豊富な資料とともに回顧する。二代目市川左團次が立ち上げた自由劇場にも多くが割かれていて、この運動によって「旧劇」とされることになった歌舞

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あけましておめでとうございます。

 陽光にめぐまれた松の内です。みなさまご健勝のこととお慶び申しあげます。  今年はていねいにお芝居をひとつひとつ観て、劇評を書いていく。ごくごく当たり前な仕事と向かい合っていきます。    どうぞよろしくお願い申し上げます。

【劇評365】新春の歌舞伎座。繭玉と鏡餅に彩られためでたき狂言の数々。六枚。

 あけまして、おめでとうございます。新年は、歌舞伎座昼の部から。 「対面」は、曽我物というだけではなく、五郎十郎はじめ多くの役柄を網羅している。それだけに、新しい年の歌舞伎座を背負っていく役者の顔見世の要素を兼ねている。新たな気持ちで見る「対面」は、五郎に巳之助、十郎に米吉とまことに清新な顔ぶれで、祝祭感にあふれていた。  上演年表を辿ってみると、私の記憶にある「対面」は、現在の松緑が二代目辰之助を襲名した舞台だった。平成三年五月歌舞伎座。五郎を辰之助が、十郎を菊五郎が勤

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【劇評364】篠原涼子と首藤康之が声と身体で響き合う。官能の『見知らぬ女の手紙』

 声は情感にふるえ、身体が絶望を物語る。 『見知らぬ女の手紙』(シュテファン・ツヴァイク原作 池田信雄翻訳 行定勲翻案・演出)は、官能のありかを探る秀作となった。篠原涼子の声が劇場いっぱいに満たされ、首藤康之の身体が暗闇に沈潜していく。私は、九十分のあいだ、性愛について考え、自らを探った。  ルートヴィッヒ・フォン・ベートーベンのピアノソナタ第十四番「月光」の冒頭が繰りかえされる。長い演奏旅行から帰ったピアニストの男は、留守中に届いたぶ厚い手紙を受け取った。読み進むうちに

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【劇評363】撞球室の宇宙。天海祐希と井上芳雄の『桜の園』で、球の行方をひたすら追う。

 ガーエフは、なぜ、そこまでビリヤードに打ち込んでいるのだろう。  貴族階級の趣味として、ビリヤードはめずらしくはない。読書室とともに撞球室があるのは、館の象徴といってもいい。一族のなかで兄として生まれながら、趣味に熱中し、家計に無頓着なガーエフは、妹のラネーフスカヤに家督をゆずっている。そんな情けない兄もビリヤードの腕前だけは、それなりなのだろう。山崎一のガーエフは、趣味人の風をまとって、この館を動き回る。  さらにいえば、今回のケラリーノ・サンドロヴィッチ演出は、ラシャ

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【劇評362】桟敷童子の秀作『荒野に咲け』は、人間の暗部から目をそらさない。

 まっすぐな芝居である。  筋を通して、二十五年の間、劇団を存続させるのは容易ではない。劇団桟敷童子の新作『荒野に咲け』(サジキドウジ作 東憲司演出 塵芥美術)は、客演を迎えず、劇団員だけの公演とした。実にすがすがしい舞台である。 ものがたりと配役  篠塚早苗(大手忍)は、公衆電話から親族に助けを求める電話をかける。ホームレスとなって失踪していた早苗は、心身ともに病んでいた。彼女を受け入れた古橋家の人々、店主の達郎(原口健太郎)と妻の澄恵(川原洋子)、長女の恵子(増田薫)

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【劇評361】玉三郎の富姫を復活させた團子の純粋さ。『天守物語』をふたたび観る喜び。

  鏡花の世界 絢爛たる詞章で、真実の愛を語る。  泉鏡花の『天守物語』は、玉三郎が重ねて上演してきた新作歌舞伎である。上演年表を見ると、私は、平成六年二月、銀座セゾン劇場の公演から観ている。  宍戸開の図書之助、宮沢りえの亀姫、樹木希林の舌長姫、南美江の薄、島田正吾の桃六という配役だから、歌舞伎公演ではない。『天守物語』は、長くレーゼドラマとされ、鏡花の生前は上演されなかったくらいだから、この芝居を新たな革に包むには、相応の腕達者を集めた配役が求められたのだとわかる。

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