マガジンのカバー画像

長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

歌舞伎や現代演劇を中心とした劇評や、お芝居や本に関する記事は、このマガジンを定期購読していただくとすべてお読みいただけます。月に3から5本程度更新します。お芝居に関心のあるかたに…
すべての有料記事はこのマガジンに投稿します。演劇関係の記事を手軽に読みたい方に、定期購入をおすすめ…
¥500 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

記事一覧

唐十郎とロマネスク

今日はこのへんのお芝居について書いていました。 『吸血姫』(唐十郎作・演出 水上音楽堂 一九七一年) 『唐版 滝の白糸』(唐十郎作 蜷川幸雄演出 大映東京撮影所 一九七五年) 『少女都市からの呼び声』(唐十郎作・演出 スペースDEN 一九八五年)

次期副大統領J.D. ヴァンスの回想録には、ある種の切迫感があった

 光文社未来ライブラリーで文庫になった『ヒルビリー・エレジー』を読み始めたら、既視感に捉えられた。2017年に初版されたときに、すでに読んでいた。まさか著者のヴァンスが、アメリカの副大統領になるとは、思ってもいなかった。 http://hasebetheatercritic.blogspot.com/2017/05/blog-post_28.html 【劇評77】取り残された白人たち 松岡昌宏の感情 現代演劇劇評 平成二十九年五月 紀伊國屋ホール   アメリカの闇は深い

さようなら 谷川俊太郎さん

 自分自身の意志ではじめて求めた詩集とEP盤がわすれられない。 思潮社版の『谷川俊太郎詩集』と、ダイアナ・ロスとシュープリムスの『ラブチャイルド』。このふたつの本とレコードは、忘れられないのに、今、私の手元にはない。 http://www.poetry.ne.jp/zamboa_ex/tanikawa/3.html

【劇評358】人間は怪物か。伊藤毅作・演出の『アリはフリスクを食べない2024』の問いかけ。

 ふたりの男女がアパートにいる。  この作品を、都内のアパートに住む三十代の男女の群像劇として考えると、理解がシンプルになる。三十代は、もはや若くもなく、かといって老いてもいない。だからこそ、平穏ではありえない。人間存在の真実に迫るすぐれた舞台となった。  なんのへんつもない部屋、下手にはキッチンとテーブル、上手にはシングルベッド。その手前には小型テレビがある。水中眼鏡をした男トモユキ(辻響平)がゲームをしている。テーブルではゆかり(石橋亜希子)が携帯をいじっている。ふた

¥300

お薦めします。やしゃごの『ありはフリスクを食べない2024』

 昨晩、やしゃごの『ありはフリスクを食べない2024』(伊藤毅作・演出)を中野の劇場MEMOで観た。生きることの意味へと斬り込む傑作。なぜ、人々は口角をあげて笑い顔を作って人と会わなければならないのか。真っ直ぐに問いかけてきた。詳しくは劇評で。たぶん明日、書けると思います。

「NODA・MAPロンドン公演『Love in Action』海外公演報告会」を聴いて。重層的な非決定へ。

記録的な長期公演 十一月二日。ロンドン、サドラーズウェルズ劇場で『正三角関係』が大千穐楽を迎えた。東京の初日は、七月十一日だから、五か月近くに及ぶ。同一キャストによる上演としては、記録的な舞台となった。 この十二日に報道関係者を集めて「NODA・MAPロンドン公演『Love in Action』海外公演報告会」が開かれた。東京芸術劇場が改修に入っているため、自由学園明日館食堂を借りて、サロン形式で、ざっくばらんな発表と質疑応答があった。  野田秀樹の冒頭の挨拶は、アジアの

¥300

【劇評357】俳優座の『慟哭のリア』がもたらした異物としての人間

 俳優座が、桟敷童子の東憲司を演出に迎えての『慟哭のリア』を観た。  シェイクスピア原作 松岡和子訳 東翻案・上演台本・演出とクレジットされているが、原作は跡をとどめぬくらい改変されている。現実には、東の創作と考えていいだろうと思う。  時代は明治時代の日本、炭鉱の景気に沸く筑豊を舞台に、炭鉱を一代で大きくした室重セイ(岩崎加根子)を中心にすえる。  シェイクスピアの『リア王』には、リア王と三人の娘をめぐる主筋がある。また、グロスターと二人の息子をめぐる脇筋がある。  

¥300

インバウンド歌舞伎へ。十一月歌舞伎座を観て。

 十一月の歌舞伎座は、舞台機構の点検、更新のために、変則的な公演となった。  「ようこそ歌舞伎座へ」と題して、シンプルで観光客誘致を強く意識した狂言立てである。 まずは、虎之介の案内による「ようこそ歌舞伎座へ」。続いて左近のお嬢、歌昇のお坊、坂東亀蔵の和尚による『三人吉三』、そして、松緑を筆頭の獅子の精とする『石橋』。萬太郎、種之助、中村福之助、虎之介が揃って加わる。  それぞれ四十分、三十一分、二十一分だから、きわめて簡便。国立劇場の鑑賞教室では、もうすこし核となる演目を

¥300

【劇評356】在りし日の朝倉摂の姿が、あざやかに蘇ってきた。文学座『摂』

 舞台美術家の朝倉摂さんがなくなって、あっという間に十年が過ぎた。  劇場でおめにかかると「これ、バカだね」とおっしゃるのが常だったけれど、歯切れのよい調子なので、悪意は感じられない。朝倉さんの批評眼からすると、おおよその舞台は「バカ」に思えたのだろう。  文学座が『摂』(瀬戸口郁作 西川信廣演出)を上演すると聞いて、なるほどと膝を打った。朝倉摂の娘、富沢亜古が、摂の母耶麻子を演じると聞いて、期待が高まった。  紀伊國屋ホールで観た舞台は、いくつかの点で私には興味深く覚

¥300

【劇評355】神も善意も金銭も恋も。蠱惑の舞台。白井晃演出の『セツアンの善人』を観た。

中銀カプセルを呼び出す 二〇二二年に解体された中銀カプセルタワーは、歌舞伎座からほど近い場所で異彩を放っていた。  建築家黒川紀章の代表作であり、シンプルな立方体を積み上げた設計だった。ベッド、収納家具、バスルーム、テレビ、時計、冷蔵庫が標準装備されていて、ミニマムな住宅であり、都市の細胞でもあった。  白井晃上演台本・演出の『セツアンの善人』(酒寄進一訳)の舞台には、このカプセルタワーを思わせる装置が組まれている。正面と下手には、仮説のはしご。それぞれのカプセルのうがた

¥300

「三田文學」秋季号に、勘九郎の『髪結新三』の悪、その色気について書きました

 「團菊爺から勘三津爺へ」と題して、雑誌「三田文學」に時評を書きました。ご想像の通り、早くになくなった勘三郎、三津五郎へのオマージュです。時評としては、今年の八月納涼歌舞伎、勘九郎が初役で勤めた『髪結新三』を取り上げています。  この舞台は、NOTEでもすでに「勘九郎の『髪結新三』果敢な挑戦」と題して書いていますが、「三田文學」では、父勘三郎をなぞるのではなく、悪の魅力を発散する勘九郎について綴っています。どうぞ、お読みください。

さん喬の独演会。毎年一度の逢瀬

浮き草の暮らし  コロナをまたいで、さん喬の独演会に通っている。  浮き草のような暮らしをしていた若い自分は、ずいぶん寄席に通った。パリーグの試合も後楽園球場でよく見たから、毎日の身の処し方がよくわからなかったのだろうと思う。  勤めに出るようになって、忙しくなった。  二十五歳くらいからは演劇評論の仕事も始めた。  激務をぬって、劇場に通い、批評を書いてきたから、時間がなかった。土曜日曜日に仕事をするのも当たり前だと思って来た。ヨタロウの生活から一転して、四十年余り、

¥300

近松は女をどう見ていたのか。松井今朝子の『一場の夢と消え』

 松井今朝子の『一場の夢と消え』を読み終わる。歌舞伎を題材に数多くの小説を発表してきた作者の総決算というべき作品である。劇界の巨人、近松門左衛門の生涯を網羅的に書いている。かといって研究書の堅苦しさはない。近松の実人生とその作品をいかに泳ぎ渡るか、小説家の想像力と研究者の実証性を兼ね備えていて読ませる。

¥300

近隣の家から清元が聞こえてくる。その情調を『婦系図』で味わう。

 余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)には、格別の情緒がある。  近隣の家から、清元などの音曲が聞こえてくる。伴奏音楽ではなく、劇中のなかに組み込まれていて、近所で稽古をしているお師匠さんや藝人が呼ばれている座敷の様子を観客に想像させる。劇では男女の別れの哀しみが描かれている。そこに、音曲の情調が加わるのだから、こたえられない。 江戸と地続きだった明治  十月歌舞伎座夜の部『婦系図』(成瀬芳一演出)は、小唄と清元が効果的に使われていて、江戸と地続きだった明治という時代をし

¥300