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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その3 『野田版 研辰の討たれ』の頃

 平成十一年に、惜しまれつつ九代目三津五郎が死去した。翌々年の一月には、八十助は十代目を襲名している。この年の凄まじいばかりの快進撃が忘れられない。

 納涼歌舞伎では、真山青果の『御浜御殿綱豊卿』の綱豊が、初役でありながら、圧巻ともいえる出来映えであった。

 青果の『元禄忠臣蔵』は、武士であろうとすることの義を問いかけるが、三津五郎の綱豊は、将軍であり続けることの虚構を背後に透かし見せる。
突飛な連想ではあるけれども、いつか三津五郎で『仮名手本忠臣蔵』、七段目・祇園一力の由良助を観てみたいと思った。
 知的な役への読み込みがどこかで反転して、戯曲そのものへの批評として成立する。それは、歌舞伎を見慣れた観客にとっても、スリリングな瞬間を生み出すのだと思われたのだった。

 平成十年の納涼歌舞伎には、おもしろい挿話が残っている。
第二部で、勘九郎は、青果の『荒川の佐吉』の佐吉を勤めていたが、続く第三部には、『伽羅先代萩』が控えていた。福助の政岡、八十助の仁木、扇雀の沖の井、吉之丞の栄御前、橋之助の男之助、そして勘九郎の八汐と勝元。いずれも初役である。

 勘九郎は、八十助に、
「佐吉を一時間半、芯に立ってやるよりも、『先代萩』の八汐につきあって二十分でるほうがつらい、しんどい」
ともらしたという。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。