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のたうちまわる演出。藤田俊太郎『リア王の悲劇』をめぐって
のたうちまわって演出をする。蜷川幸雄さんは、自らの演出について、こんな言葉を使った。日本でももっとも恵まれた立場にいならがも、演劇は集団作業である以上、すべてが思い通りになるはずもない。まして、シェイクスピアにも、ギリシア悲劇にも、見上げれば遙かな上演史がある。すべての意味で、「のたうちまわった」人生だったのだろうと思う。
横浜のKAATで『リア王の悲劇』(シェイクスピア作 河合祥一郎訳)を観た。演出の藤田俊太郎が、師蜷川の遺髪をつぐべく「のたうちまわって」演出している。テキスト分析と場面構成が精緻に煮詰まっていると思う。ここにたどりつくためには、時間とエネルギーでは足りない。苦悶の果てに、舞台が生まれたのがよくわかった。
今回の焦点は、劇の良心ともいうべきエドガーに土井ケイトを配役したこと。そして、コーデリアと道化を二役として、原田真絢が演じたところにある。実にシャープでしかも繊細なエドガーが生まれた。小太刀のようにリア王に言葉で斬り込む道化も素晴らしい。
その結果、観客が心をふるわせる場面が生まれた。第五幕第三場、エドガー「ずっと父の面倒をみて参りました」からのの長台詞は、土井ならではの切実さにあふれていて胸を打った。
もちろん、すべてがうまくいくはずもない。大きな問題を抱えているのも確かである。ただ、新しい時代のシェイクスピアが、高いレベルで生まれた。のたうちまわる演出が、何をもたらしたのかは、劇場で確かめていただきたい。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。