【劇評322】玲瓏たる玉三郎演出の『天守物語』は、本年の突出した収獲となった。
透徹した美意識は、どこへ辿り着くのか。
泉鏡花作、坂東玉三郎演出の『天守物語』を観て、この稀代の歌舞伎演出家が、絢爛たる言葉の競演に、削ぎに削いだ美術によって、独自の時空を作っていることに感嘆した。
鏡花の生前には上演されていないこの戯曲は、レーゼドラマ、読む戯曲としてもすぐれている。特に幕開き、富姫の侍女、それぞれが、萩、女郎花、桔梗、撫子、葛と植物の名を持つ女たちが、秋草釣りを楽しむ件は、狂言綺語の応酬であり、白露を餌にするとの台詞によって、この芝居の幻想性は、いよいよふくらみ、何もない空間を満たすのだった。
昭和五十二年から平成二十六年まで、十二度、この劇のヒロインたる富姫を勤めてきた玉三郎が、妹分の亀姫を演じたのが話題であり、結果として、この優のすぐれた技倆を示していた。
実に若々しく、瑞々しい亀姫で、妹分を規矩正しく演じている。その美しさは、あたりを払うばかりであるが、決して、富姫の領分を侵したりはしない。
さて、七之助の富姫であるが、台詞の隅々まで玉三郎写しである。すでに、姫路城の平成中村座公演ではじめて富姫を勤めているが、今回も、教わったとおり、楷書の富姫で、こちらも感嘆するばかりであった。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。