松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。
朗読劇ではなく、モノローグの名手として、松たか子は長く記憶されるだろうと思う。
その才質を高く買っているのは、野田秀樹である。『オイル』(二○○三年)『パイパー』(○九年)、東京キャラバン駒場初演(一五年)、『逆鱗』(一六年)、『Q』(一九年)、そして今回の『兎、波を走る』、数々の舞台に出演しているが、落ち着きと包容力のある声が立ち上がってくる。
叙情的に台詞を唄って観客を泣かせるのではなく、叙事的に物語を再現して見せて、ここではない現場の光景を描出してすぐれている。
特に、今回の『兎、波を走る』(野田秀樹作・演出)では、日本の全国民に非常によく知られた母の役を演じている。モデルとなった人物自体に圧倒的なカリスマがある。また、耐え忍び、そして柔軟に闘い続ける生き方を誰もが知っている。
こうした人物を演じる困難を、松たか子は誠実に乗り越えてみせる。それは、演劇いや芝居という芸能の本質をよく理解しているからだ。
もう随分以前、二○○四年、松たか子が新橋演舞場で『おはつ』のタイトルロールを演じたとき、演出家の鈴木裕美に聞いた。
「たかちゃんは凄いです。座長として、稽古場にいますからね。たとえば、相手役の芝居が上手くいっていないとするでしょう。すると、居残って相手をするのに、嫌な顔ひとつ見せない。それは、相手役とたかちゃんの芝居がよくなればいいというわけじゃない。芝居全体がよくなるためには、労を惜しまないんです」
なるほど、若年にして座長としての立ち位置を心得ているのか。私は高麗屋、松本幸四郎家に生まれたことの幸福を思った。
もっとも松たか子の初舞台は、歌舞伎『人情噺文七元結』のお久の役である。一九九三年十月歌舞伎座。左官長兵衛は、五代目勘九郎(のちの十八代目勘三郎)、角海老女将お駒が五代目玉三郎。この月、幸四郎(現・白鸚)は、歌舞伎座に出勤していないから、なぜ松たか子に白羽の矢が立ったのかはわからない。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。