【劇評227】仁左衛門、玉三郎、エロティシズムの根源。『桜姫東文章』の秘法。
四月の歌舞伎座を満席にした『桜姫東文章』(四世鶴屋南北作 郡司正勝補綴)の下の巻が、六月の第二部に出た。
上の巻は、前世の因縁と清玄と桜姫の墜落を描いた。下の巻は、ふたりの流転と、仁左衛門二役の釣鐘権助の荒廃ぶりに焦点が合う。
序幕は、岩淵庵室の間から。歌六の残月と吉弥の長浦は、上の巻にも増して、嫉妬と憎悪に貫かれている。美男美女と対になる醜悪な悪党ぶりで、場内を沸かせる。歌六、吉弥、仁左衛門、玉三郎の対比が、人間の諸相を現しているかのようだ。
孝太郎のお十は、幼子をなくしたばかりの浅草の女。悲哀もあり、きっぷのよさもある。ひょんなことから権助に売り飛ばされる羽目になるが、この不条理をあっさり受け入れるように見えるのは、この役者の腕があがっているからだ。
橘太郎の判人の勘六は、女衒稼業の饐えた匂いがする。
仁左衛門は、桜姫の小袖に執着する清玄が、いい。病に自我を失いつつある様子を映している。とはいえ、やはり権助が本役。お十ばかりではなく、隙さえあれば、女房だろうがお姫様だろうが金にしていく太い悪党を演じて凄みがある。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。