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だれのための幸せの物語?【瞳の奥に】(サラ・ピンバラ)

この物語で幸せになったのって……。

え??

サラ・ピンバラの「瞳の奥に」を読んでいる間中、私はずっと「えー!?」と言っていて、読了しても「えー!?」と言っていて、本のことについても考えてる間も「えー!?」って言っていた。

つまりこの本は「えー!?」と言わせる物語なのである。

何が「えー!?」なのか。

その前に1つ。あなた、この本を読む予定あります?ないなら、この先へどうぞ進んでください。

読む予定があるなら、バック!先入観を入れずに、どうぞ読んでください。

この本のあらすじは、

ロンドンの精神科クリニックで秘書として働くルイーズの新しいボスは、なんと先日バーで出会い、キスまでして意気投合した男性だった。やがて一線を超える関係になる2人だったが、ルイーズは彼の美しい妻とも知り合い、友人関係を築いていく。罪悪感を抱きつつも、2人との関係を続けていくルイーズだが、だんだんとこの夫婦、何かがおかしいと気づき始めて……?

というもの。

私がこの本の最重要だと思うことは、ズバリ、

この物語で幸せになったのだーれだ!

これである。

終始「えー!?」となって読んでいた私だったけれど、読了してみて思うのは、「これはだれが幸せになるための物語だったのかな?」ということ。

心理スリラーというジャンルに分けられる物語ではあるけれど、根本はみんな「個人の幸せ」を追い求めている。

その幸せの求め方に問題があっただけで、「幸せになりたい!」と思うのは罪なことではないのだ。

だってだれでも幸せになりたいし、その権利を追求するのは私だってしてしまうこと。

ただ、人によってその幸せの基準はちがう。そして、抱えているものも違うがために、幸せの追い求め方も違う。

だから、人によっては常軌を逸した幸せの求め方をしてしまうのかもしれない。

あなたの抱えているものを私は知らないし、私が抱えているのものをあなたも知らないでしょ?

だから私の幸せの求め方はこうなの!と言われたら、真っ向から否定することなんかできないわけで……。

「私がこうすれば彼も私も幸せ」という狂気が背景にあるんですよ、この本。

それが故に、幸せという基準、価値、そしてそれを求める方法。すべてが、個人の抱えるものに繋がる。

けれど、その抱えていものはだれにも理解することができない。当たり前なんだけど、当たり前なんだけど!

その「当たり前」がじわじわとボディーブローように効いてくる……。

どうか、この本を読む予定があるのに私の書評を読んでしまった人は、

「この物語はだれの幸せのための物語なのか」

というのを考えながら読んでみてください。




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