「200字の書評」(369) 2025.1.25
皆さま 昨年中はお付き合いいただき有難うございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
どのような正月を過ごしましたか。昨年は元日には能登半島地震で深刻な被害が発生、翌日には羽田空港での日航機と海上保安庁機の衝突事故と不穏な新年となりました。幸い今年は穏やかに過ごせるのかな、と思った矢先に鹿嶋沖での巻き網漁船の遭難があり、海の向こうロサンゼルスでは大規模な山火事が延焼中。これまた思わしくない事態になっています。それだけならまだしも、トランプという災禍が世を覆いそうです。詭計多端、飛揚跋扈の輩が蠢く末世にならねばと願うばかりです。
今年は昭和100年、敗戦80年。歴史上の節目の年です。過去を振り返り現状を冷徹に見極めて、将来を考えていきたいものです。
さて、今回の書評は資本主義の動揺に迫る一書です。私の手に余ることは承知で読んでみました。
カール・ローズ「WOKE CAPITALISM 「意識高い系」資本主義が民主主義を滅ぼす」東洋経済新報社 2023年
富の偏重と格差拡大は深刻。上位1%の富裕層は搾取収奪と租税回避により、世界の富の約半分を所有している。高まる怒りと不信に対して、意識高い系を装う世界的企業群とゲイツ、ベゾスなどの大富豪は差別への否定的見解、LGBTQへの理解、気候変動への危惧、それらへの共感と寄付を表明する。著者はこれをウォーク資本主義と呼び、その偽善性を暴く。この資本主義の延命こそ民主主義の危機であるとの主張に教えられる。
<今月の本棚>
野村泰紀「なぜ重力は存在するのか 世界の「解像度」を上げる物理学超入門」マガジンハウス 2024年
量子論は超ミクロの世界。門外漢には想像すらできない様相を呈しています。これ以上分解できない小さな小さな粒子を極め、その運動法則を探る。光とは波でもあり粒でもある、時間とはあるとも言えるし無いともいえる?宇宙の謎に迫る鍵もここにはあるのかもしれない。物理学者、数学者の頭の中身は、まさに謎に満ち不可解・奇々怪々である。
小路田泰直「日本通史―津田左右吉・丸山眞男・網野善彦の地平を超えて」かもがわ出版 2024年
副題にあるように、古代史の泰斗・津田、政治思想史の巨人・丸山、中世史の変革者・網野を超えたのだろうか。一人で通史に取り組む、その心意気に惹かれる。古事記日本書紀いわゆる記紀は歴史書ではなく、かなり潤色されたものであるとされてきた。著者は一定程度歴史を投影したものとして読み解き、歴史に構成する。また明治14年の政変に別な視点を持ち込む。天皇制についての解釈も新鮮さがある。公式的な歴史ではなく、歴史観に複数の視点を設定する意義は感じる。
加藤周一「天皇制を論ず(加藤周一著作集第8巻所収)」平凡社 1979年
前掲書の引用に興味を持ち、本棚から著作集を探し出して読んでみた。加藤周一は碩学の名に値する知識人である。まだ若いころに無理して購入した著作集のうち何冊読んだのだろうか。この巻には幸い付箋が挟んであったので、昔読んだのだろう。戦争直後の論考であり、問題は天皇制であり天皇ではないという主張は鋭い。同巻の「天皇制について」も同様に教えられる。現代に、碩学とか知識人と言える人物はいるのだろうか。
渡辺将人「アメリカ映画の文化副読本」日本経済新聞出版 2024年
アメリカが揺れている。地球規模の巨大にして支離滅裂な国家がどこへ行くのか。前回今回と、かの国が抱える危うさと資本主義の酷薄さを取り上げてきた。本書では視線を大いに下げて、歴史というよりも虚構の国の素顔を、その時々の映画に何が映し出され何を感じてきたのかが語られる。隠されてきたものが映像を通して見えてくるかもしれない。映画ファンならハリウッド映画論としても堪能できそうだ。
本田健「作家とお金」きずな出版 2024年
著述業に憧れたことはないだろうか。一度は小説を書いてみたいと思うことがあるのではなかろうか。文才があり、機会に恵まれれば筆一本で食っていける。そんな作家の現実がクールに語られている。作家には①自己表現の喜び②認められる喜びなど5つの喜びがあると語られる。作家の6タイプも紹介される。アーティストタイプ、破綻タイプ、打ち上げ花火タイプなどがある。もし作家になるならどんなタイプになるだろうか。著者は作家という職業について、収入や家庭との関係など、微に入り細にわたって語ってくれるが、あまり楽な商売ではないようだ。
加藤長「一からわかる人類と日本人の起源」同時代社 2024年
いつも思うのだが約45億年の地球の歴史から見ると、人類の歴史はささやかなものだ。類人猿の出現はほぼ2300年前、ホモ・サピエンスは30~20万に過ぎない。猿人、原人、ネアンデルタール人デニソワ人の旧人に続いて出現した新人ホモ・サピエンスが故郷アフリカを出たのは約6万年前に過ぎない。複数のルートを数万年かけて拡散する。その旅路ではネアンデルタール人やデニソワ人と出会い交雑し、DNAは我々の中にも確認されている。長い旅路では通過し、あるいは定住した地域の気候風土、地勢、動植物、食料などにより現代に連なる特性、風貌、言語、文化を獲得する。そう考えると、肌の色や文化の違い、さらに見かけによって差別意識を持つことの無意味さが見えてくる。著者はミトコンドリアDNA(女系)とY染色体DNA解析の結果を紹介している。解析技術の進歩により人類の運命が明らかにされていく。悠久の歴史の前では現代の争乱と混迷は実につまらないことだと思ってしまう。
【睦月雑感】
▼ 庭の蝋梅が可憐な花を結んだ。ほのかな香りが漂ってくる。暮れからつぼみは膨らんできて、小鳥が狙っていたようだ。ヒヨドリ、スズメが花をつまみに来る。冬は餌が少ない時期、食料発見の気持ちなのだろう。狭い庭なので天敵の大型の猛禽類に襲われる心配はないのだろう。でも、蝋細工のような儚げな黄色がなくなっては困るので、時々追い払う。気が付くと窓から遠い側の半分には細い枝だけが揺れていた。玄関の花瓶に挿した一枝からの香りは心を癒してくれる。
▼ 書評(368)で取り上げ、今回も問題意識が共通しているのが資本主義の黄昏である。拡大する経済活動によってフロンティアは消滅し、中間階級からの収奪と搾取によって極限まで格差は拡大した。これへの怒りと反発を和らげようと、差別や不安への対策として富裕層は上述のような糊塗策を弄している。一方トランプに代表される右派的な流れはこれに反発する。いわば右翼バネの発動である。上下の格差、南北問題などは緩和せず危機が迫るかもしれない。民主主義の守護者を自任し、自由と平等をうたい文句にして世界に君臨してきた。その余裕が失われ、虚飾が剥げて本音がむき出しになってきたというところであろう。白人の優越、金と財産への執着、世界を睥睨するナンバーワンのこだわり、好戦性、有色人種の劣等視などキリスト教原理主義と先住民排除の建国神話そのものが物語っている。アメリカ白人本来の姿を現したということであろう。日本政府には冷静に推移を見守り、米国に媚び諂うことなく国民を守り、世界平和に貢献できるかが問われる。
▼ 北陸東北地方の豪雪はもはや災害の域に達している。交通の混乱は勿論のこと、日常生活にも影響が深刻化している。除雪により道路の両側には高い壁ができて車の通行は困難、歩行者には危険極まりない。重い雪により家屋倒壊も報じられる。高齢化が進み、屋根の雪下ろしはままならず、家の周囲には背丈ほどの積雪があっては手の施しようがない。除雪と同時に重機とダンプにより捨て場に運ぶ排雪を進めるべきなのだが、費用もかさみ疲弊した地方の行政も青息吐息なのだろう。以前何かに書いたのだが、いざという時に即応ができないのは、その地の行政と建設業者に力量がなくなっているからではないのか。重機とダンプに作業員を組ませて対応できる体制が組めない。つまりオール建設の衰えだ。元土建屋としては嘆く。
▼ 受験の季節である。いまや小中高大を問わず、複線的な入試と選考が大はやりである。昔日の感があり、一発勝負の入試に賭けた昭和人は戸惑う。そこで、大学入試センター試験についてである(正式な名称はよくわからない)。この時期いつも豪雪や天候不順により受験生の足が乱れるのだが、今年は大きな混乱はなかったようだ。受験生の奮闘を願うのみ。でも、私立大学までセンター試験を導入するのだろうか。それぞれの伝統と校風にのっとって試験をすればよいと思うのだが。もし入試問題を作る力量がないとするなら、それは教養課程を軽視してきたツケではなかろうか。こんな疑問は老人の繰り言か。
▼ アイドルタレントの醜聞が発覚し、テレビ局の関与も疑われている。テレビ局は報道機関なのか娯楽提供機関なのか、その線引きは難しい。今回のことの正否はあまりにも明白であり、フジテレビが窮地に陥っている事態は当然であろう。他のテレビ局も対岸の火事ではないはずだ。公正な判断を望みたい。一方視点を変えてみると、テレビ局の現場は下請け・協力業者が多数存在している。実際のところ業者なしには運営できてはいないはずだ。危機を叫ばれる局の高給取りとされる正社員だけではなく現場の在り方、下請けの社員にも光を当てたい。
☆徘徊老人日誌☆
1月某日 賑々しい一夜になった。息子の高校時代の友人3人が来宅。当家には日ごろから縁の深い3人だ。酒肴を抱えての登場は、狭い茅屋がパーティー会場になった如く明るさに包まれた。老夫婦だけだったのが、一夜だけの10人近い家に膨れ上がった。談論風発、侃々諤々、近況を語り大いに笑い、時には世相を憂い悲憤慷慨。酒がすすみ楽しい夜が更けていく。昔から当家に来るのは何の抵抗も無いようで、息子がいなくても訪れ、酒を酌み交わす。嬉しいことだ。やがて最終電車の時刻が迫る、次の機会を約して去っていった。
1月某日 年賀状が郵便受けに届いている。配達員さんに感謝。年々届く数は減っていく。今年限りにします、悪しからずとの年賀状少なからず。こちらも例年どうしようか正直迷う。でも生存確認の意味で出しているし、受け取ると嬉しくホッとするのも事実。年賀状離れが加速すると郵便局は困るのだろうと心配する。
1月某日 町はずれの畑でどんど焼きがある。例年有志の方が主催し、広報で知らせてくれる。松飾りをそこに託して手を合わせる。お正月中に散歩していると、家庭それぞれに変わった飾りが見受けられる。きちんと門の両脇に松を飾っているお宅。玄関ドアに本格的な松飾りと縄を渡しているお宅。きわめて簡素な飾りで済ませているお宅(当家も)。中には全く飾りのカの字もない家もあった。昔は車にも正月飾りをつけたものだった。飾りを通じて時代の移り変わりを感じる一幕だった。
1月某日 超大国の大統領就任関連報道が続く。剣呑さが漂う数日である。大富豪であるIT企業経営者たちは一斉に尻尾を振っている。権力と金の親和性が示される。権力者に弱き者、貧しき者への思いやりはなく、経営者はこれまでの矜持を捨て去る。件の新大統領は自国最優先、マイノリティー蔑視、利益の極大化、領土欲を隠さず、その品性に欠けたパフォーマンスを見て、アメリカ帝国主義という言葉を思い出した。陰鬱な4年間になりそうである。
1月某日 散歩道で見慣れた風景が一変していた。川に近い広大な田んぼに重機が数台入り作業を行っている。収穫後の工事なのだろうが、掲示されている工事標識を覗いてみる。圃場整備工事、この工事は週休2日制のモデル事業だと表示してあった。のどかな田園風景が消滅するのでは無いようで安心したいのだが、どんな風景に生まれ変わるのだろうか。数日前に少し先では、ずっと見かけなかったキジが草むらで何やら啄んでいる姿を見かけ、少し嬉しかった。それだけに生き物に不安をあたえてほしくはないのだが。
大寒です。日中の日差しはやわらかさを増していますが、朝晩は冷え込んでいます。花粉も飛散し始めているとか。水仙の蕾は膨らみ始めています。春の足音に耳を澄ませましょう。インフルエンザにご注意ください。
どうぞお元気でお過ごしください。