【短編小説】へんなともだち ~鉄の女ふみえさん〜
「鉄の女」
そう言われて私の頭に思い浮かぶのは
かつてのイギリスの政治家「マーガレットサッチャー」
それを映画で演じた「メリルストリープ」
そして
私のともだち、「ふみえさん」である。
彼女に出会ってからというもの、私の鉄の女史は塗り替えられた。
彼女は鉄のようだった。
身も心も鋼のようなともだちだった。
*******
季節は師走の終わりに近づき、私とふみえさんが働いている会社は繁忙期に突入していた。
オフィス内のありとあらゆる場所で電話のコール音が鳴り響き、心なしか周りの同僚たちが数秒に1度の頻度で押しているエンターキーの音がここぞとばかりに大きい。学生の頃、異国インドの地で食べたカレーの味のように、ピリピリしているどころか、それを通り越して職場全体がカラカラしていた。
そんな、ちゃんと自分の呼吸に意識を向けていないと、息ができなくなってしまいそうなカラカラした職場の中で
「ゴンっ」
と鉄の塊がぶつかったような音がして、私は思わず、見ていたパソコン画面から視線を上げた。目の前に座っているふみえさんを見ると、何やらふみえさんは涙目になりながら、おでこのあたりを抑えていた。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもないです。」
「いや、涙目になってるじゃないですか。何もないわけないでしょう。」
「いや、なんか、今電話をかけようとして受話器を取ったら、そのままおでこにぶつけてしまいました。」
「え?」
そうか。さっき聞いたあの鈍い鉄の塊のような音は、ふみえさんが持ち上げた受話器を頭にぶつけた音だったのだ。きっと、ものすごい勢いで持ち上げていたのだろう。本当に鉄のような音だった。いや、勢いの問題でもないのかもしれない。もしかするとふみえさんの頭が異常に鉄のように固い可能性だってある。
私はなんだかおかしくなってきてそのまま笑ってしまった。
「すみません。思わず笑ってしまいました。」
「いえ、なんだか私も痛いけど、面白くなってきました。」
「ですよね。とりあえず保冷剤持ってきますね。」
そう言って冷蔵庫に移動し、保冷剤を手に取り、ふみえさんのもとに戻って、それを手渡した。
「ありがとうございます。」
「いえ全然。とりあえず冷やしてもらって、あと、少し休憩を取ってきたらどうですか?もうすぐお昼ですし。もし、巻き取れる業務があるのなら私が巻き取りますよ。」
「いえそんな、、、。まだいろいろと終わっていないので、、、。」
「いや、普通に考えて、電話かけようと思って取った受話器で致命傷追うって、疲れすぎです。まだ今日は月曜日なのに、、、。」
「あぁ、そんな風に言ってくれるなんて、、、。はるさん、ありがとうございます。」
「むしろ、そんなになるまで気づかなくてごめんなさい。」
そう言って私は、ふみえさんが抱えていた一部の仕事を巻き取って、ふみえさんを無事、昼休憩に見送った。そして、ふみえさんの仕事に取り組みながら思う。私が今やっているふみえさんの仕事は、たったほんの一部に過ぎないのだと。そういえば、昼休憩を取っているふみえさんを見るのはいつぶりなのだろうか。少しでもふみえさんの負担を緩和しようと、私はそそくさと巻き取った仕事を終わらせた。
30分くらい経って、ふみえさんが目の前の席に戻ってきた。
「休憩、早くないですか?もう少し休んだら。」
「いえ、お心遣いありがとうございます。はるさんに気遣ってもらったので、なんか元気出てきました。また午後から頑張ります!」
「私別に大したことしてないのに、、、。とりあえず、さっきもらった仕事は終わりました!他に何か巻き取れることはありますか?」
「いや、これ以上は申し訳ないです、、、。」
「いやいや、普通にさっきの仕事しながら思いましたけど、1人でこなせる量じゃないでしょ。」
そう言って私は、ふみえさんの机サイドに回った。
「えっと。」
ふみえさんは何やら手元にある小さく折りたたんだA4用紙を見つめている。
そこには、白い余白がないくらいにぎっしりと文字が並べられていた。
「もしかして、これ、やることリストですか?」
「はい。ありすぎて、何がやることだったか忘れてしまいがちなんですが、、、。」
「そうですよね。別に裏紙なんてたくさんあるんですから、もう少し余白を持たせて見やすく書いてもいいような、、、。」
「そうなんですよね。わかってはいるのですが、つい癖で、、、。えっと。」
やることまみれのA4用紙を少し見つめたあと、ふみえさんは何やらパソコン画面でポチポチと操作をしはじめた。
「えっと、、、。」
「え、ちょっと待ってください。」
ふみえさんにつられて、パソコン画面を見た私は驚いた。
「これ、固定タブですよね?」
「はい。大切なサイトやスプレッドシートを私見失いがちなので、固定タブにしています。」
「えっと。それは素敵な心掛けだと思うのですが、いささか多すぎやしませんか。」
ふみえさんのchromeの画面には、一番左端に固定された、gmail、googleカレンダーに始まり、右端の画面を閉じる×印のところまで、ありとあらゆるサイトが固定タブにされていた。
「これ、逆に探しにくくないですか?ブックマーク機能とか使えばいいのに。」
「うーん、なんだかブックマークうまく使えなくて私。それにだいたい左から何番目とか、雰囲気の位置でつかんでます。ちょっと待ってくださいね。」
私にお願いするタスクのシートを探しているのだろう。ふみえさんが目の前で、次々に固定タブを切り替えている。お目当てのシートを探しているらしい。
きっと、この固定タブを探す時間こそなくすことができたなら、彼女の日々の残業を短くしてあげられる。けれどこちらで整理してブックマークを作ってあげたとして、おそらく彼女はそれに慣れるのにも時間がかかってしまうだろうし、、、。こんなこと繁忙期にしている場合ではない。なんだかもどかしくてどうしようもない気持ちになった。
「ありました!これ、これです。」
「あー、なるほど。承知しました。そしたら、私ちょっとだけ休憩してから午後これやっちゃいますね。」
「ありがとうございます。助かります。」
「いえ、全然。」
「あの、、、。」
「はい?」
「お忙しいところすみません。固定タブついでに、、。見てください。」
そう言ってふみえさんは、また別の新しいchromeの画面を開いた。
そこには、だいたい画面の半分くらいまで、さまざまなタブが固定されていた。
「もしかしてこれって、、、。」
「そうです。固定タブの2枚目です。足りなくなっちゃって。」
「はぁ、笑っていいところですよね?」
「はい、笑ってください。」
そう言って私とふみえさんは笑った。
そしてこのふみえさんの「固定タブを探す時間」を効率化することは私には無理だと悟った。
さっきまで、もどかしかった気持ちがどこかへ飛んで行って消えていた。
多すぎて何がタスクなのかわからなくなっているふみえさんのやることリスト
探すのに少なくとも3分はロスしているふみえさんの固定タブと
それを巧みに操っているふみえさんを見ていたら
なんだか、元気が出てきて、私は午後からまたより一層頑張って仕事に取り組むことができた。
それに、あんなにおでこに大打撃を受けて涙目になっていたのに、必死に涙を堪え、午後になって何事もなく、業務に取り組むふみえさんを見て、やっぱりふみえさんは鉄の女だと思った。
*******
「ふみえさん、私先帰りますよ。」
「あ、はい!私はあともう少ししてから帰ります。」
「いや、もう普通に、12時過ぎましたよ。ふみえさん一人になっちゃうし、ここのところ毎日日付変わるまで私たち仕事してるし、明日もあるし、一緒に帰りましょうよ。」
「そう言ってもらえるのはうれしいんですけど、私、ここまで終わらないと今日帰れないんです。気持ちがモヤモヤしちゃって、、、。」
「私たち22時までしか残業代つかないんですよ?」
「いや、そうなんですよね。わかってます。22時でみんな仕事を切り上げてるのは、、、。けど、いつだってそれを超えて日付変わるギリギリまで残ってるはるさんも同じ気持ちじゃないですか?」
「うう、たしかに、、、。それを言われたらどうしようもないですけど、、、。わかりました。とりあえず、巻き取れることあったら明日また言ってくださいね。」
「お心遣いありがとうございます。」
そう言って、その日の月曜日も、火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日だって、ふみえさんは、たった1人で、深夜1時半まで残業していた。
心と身体が心配になりそうなくらいに
けれどふみえさんはやっぱり鉄の女だと思った。
*******
やっと訪れた週末、泥のように仕事をした1週間の疲れがどっと来たのか、私は土曜日と日曜日の2日間、ほとんどベッドから動かずに、泥のように寝ていた。
明日から、また泥のような日々がはじまる。
備えなければと、せめてもの最低限の食料調達をしに夕方、私は近所のスーパーへとろくに化粧もせずに出かけた。
悲しいことに、スーパーへの道の途中に、私とふみえさんの働くオフィスは位置していて、通りすがり、週末であるにも関わらず、オフィスの電気がついているのが見えた。
「あれ、誰か仕事している。」
駐車場に目を向けると、ふみえさんの車があった。
あぁ、またふみえさんが仕事している。
気になって仕方がなくて、とりあえず私はスーパーで買い出しを済ませ、ふみえさんにシュークリームの差し入れを買って、私はオフィスを訪れた。
「ふみえさん、おはようございます。」
「え、あっ、はるさん。どうしたんですか?」
「いや、こっちこそどうしたんですか?ですよ。今日休みですよ。」
「え、あっ、いや、どう考えてもやらないといけない仕事があって、、、。」
「何時からいるんですか?」
「あ、でも昼からです。12時すぎくらいから。」
オフィスの壁時計に目をやると、時刻はまもなく16時になろうとしていた。
「ちょっと遅いですけど、おやつの時間です。」
そう言って私はふみえさんに買ってきたシュークリームのうち1つを差し出す。
「えー---、うれしい。ありがとうございます。」
「とりあえず、食べません?」
「はい。そうします。」
「てか、今日の休日出勤申請しました?」
「しました。社長は納得してないみたいですけど。」
「やっぱり。けど仕事は仕事だし、受領してもらうしかないですね。」
「そうなんです。私も仕事内容は伝えましたし、、、。」
「で、納得してもらえたんですか?」
「いえ、なんかさっきから怒ってます。」
「え?」
「いや、休みだし、電話で話したくもなかったし、とりあえずスラックで、今日の申請だけ送ったんですけど、全然納得してないらしくて、、、。もううるさいし、めんどくさいので無視してます。」
「え?」
「さっきからポンポン新着メッセージ来てるんですけど、こっちは必要だから仕事しているわけで、だから全部無視してます。」
「はぁ。」
とりあえず、二人でシュークリームを食べる。
「ふみえさんって、やっぱり鉄の女ですよね。」
「え?」
「強すぎるって意味です。普通あのみんなが恐怖してる社長に対して無視するなんて、ありえないですよ。」
「そうですかね?私はまっとうなことを言っていると思いますが、、、。」
「いや、まっとうなのはまっとうだと思うんですけど、、、。普通はそこまでしないです。」
そう言っておいしいクリームを味わいながら2人で笑い合った。
「ふみえさん、1つ聞いてもいいですか?」
「はい。」
「ふみえさんはどうしてそこまで仕事できるんですか?」
「いや、はるさんに比べたら、私そんな仕事してないですよ。」
「いやいや普通に比べるとかじゃなくて、、、。だって私が担当している取引先よりも100倍やっかいなとこ担当してるじゃないですか。やっかいだからこそ、普通よりも仕事多くてこんなにふみえさんが残業させられているんだし、、、。私は取引先がまともだし、すごく好きだから耐えられますけど、私がふみえさんのとこ担当してたら、普通に無理だなって。要望多いし、意味わかんないし。」
「うーん、いや、普通に悔しくないですか?」
「え?」
「悔しいんですよね。取引先に試されてる感じがして、こんなこともやれないのかって見透かされているようで。そういうの負けた気がして悔しいんです。」
「ふみえさんは戦ってるんですか。」
「そうかもしれないです。戦ってますね。絶対に負けたくないんです。悔しいから。だから絶対に勝ちます。」
そう言ったふみえさんの目の奥に炎が燃えたのが見えた。
「死なないでくださいね。」私はそう言いかけて辞めた。
彼女は負けない。どんなに理不尽な要求を押し付けられようと、負けない。
ふみえさんはやっぱり鉄の女だと思った。
*******
いつのまにやら新年を迎え、繁忙期も少し落ち着いてきたある日のこと。
「ふみえさん、帰りますよ。」
「はい、今日は私も帰ります!」
「おっ、珍しい。久しぶりかもですね。日付変わる前に帰れるの。」
「はい、だいぶ落ち着いてきました。」
「よかった。じゃあ一緒に帰りましょう。」
そう言って私たちは、誰もいなくなったオフィスの電気をすべて消し、施錠して、駐車場へと向かった。
「はるさん、1つ聞いていいですか?」
「はい。」
「いつ辞めるんですか?」
「え?何でそんなこと聞くんですか?」
「いや、なんかちらりとそんな噂を耳にしたので、、、。」
「うーん、時期はまだ完全に決めてないですけど、辞めることだけは決めましたね。ちょっといろいろあって。」
「そうなんですね。なんだか寂しくなりますね。」
「いや、まだ時期とか決めてないですし、まだいますよ。」
「あの、、、。辞める時期決まったら先に私に教えてもらってもいいですか?」
「あ、全然いいですよ。伝えます。というか、普通にふみえさんは辞めないんですか?」
「私も辞めますよ。意味わからないしこの会社。」
「いや、そうですよね。じゃあ寂しくないじゃないですか。いつ辞めるか決めているんですか?」
「いえ、ただ、会社にとって一番ダメージが大きいときに辞めようと思っています。」
「え?」
「あ、いや、悔しいんで。こんなに働かされているのに給料も低いし。全然従業員のこと考えていないし。だから、会社にとって、辞められると困る人材がたくさん辞める時期に一緒に辞めてやろうって思ってます。」
「新しい発想ですね。」
「そうですか?だからはるさん、辞める時期決まったら言ってくださいね。私も辞めるんで。今日もお疲れさまでした。」
そう言って、ものすごく怖い発言をしているにもかかわらず、すがすがしい笑顔を浮かべながら、颯爽と自分の車に乗り込んで帰途についたふみえさんを見送りながら、やっぱりふみえさんは鉄の女だと思った。
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私たちは無事、繁忙期を終えた。あんなに毎日残業していたふみえさんも割と余裕が出てきたのか、定時で退社をしている。
「はるさん、今話かけてもいいですか?」
「はい。大丈夫ですよ。」
定時終わり、珍しくふみえさんが私に話かけてきた。なんだかニコニコしている。
「全然、仕事とは関係ないんですけど、私最近この本を読んだんですよ。」
そう言って、ふみえさんが最近読んだという本を私に手渡してきた。
「私が見た未来、、、。はじめて見ましたこの本。なんの本なんですか?」
「予言の本です。あの東日本大震災をも予言を的中させたという話題の予言書。」
「はぁ。何か気になる予言が書いてあったのですか?」
「はい、この本の筆者によると、本当の大災難は2025年7月に起こるらしいです。」
「おお、なるほど。それはちょっと怖いですね。地震ですか?」
「もしかすると東日本大震災をも上回る地震かもしれません。」
「それは、かなり怖いですね。しかも過去に予言が当たっているのならなおさら。」
「そうなんです。」
「それならなおさら毎日を大切に生きなきゃいけないですね。私もこういう予言とかめちゃくちゃ信じている部類の人間ではないですけど、聞いたりするのは好きですし、そういうの聞くたびにいつも思います。死ぬ前に自分の好きなこととか、楽しいこと全部しとかなきゃって、毎日を大切に生きなきゃって。」
「はるさんは自分自身が死ぬ前提で考えるんですか?」
「はい、だって生き残る自信ないですし。人間いつ死ぬかわからないって思いながら一生懸命毎日生きないとダメですよね。やっぱり。素敵な気づきをありがとうございます。ん?というかふみえさんはこの予言を聞いてどう思ったんですか?」
「あ、私ですか?」
「はい。なにか死ぬ前にやりたいこととか考えました?」
「いえ、残念ながらその発想には至りませんでした。はるさんの新しい発想を聞いて驚いています。」
「え?私そんな斬新な発想ですかね?結構普通な気がしてますけど、、、。」
「斬新だと思います。私は、、、どうやってこの大災難を乗り切るかということを考えました。」
「え?」
「いや、そんなにすさまじい大災難が来るのだとしたら、しっかり備えないとなって思って、最近防災グッズのサイトとかよく見て、防災について勉強しています。」
「あくまで、生き残る前提なんですね、ふみえさんは。」
「はい、生き残る前提で、最善の備えをと思っています。」
「たしかに、ふみえさんだったら生き残りそうですね。どんな状況であっても。」
「そうですか?そう言っていただけるとうれしいです。」
やっぱりふみえさんは鉄の女だと思った。
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そのあと1年くらい経ってから、私は会社を辞めた。
そのあとを追うようにふみえさんも会社を辞めた。
今彼女がどこで何をしているのかは定かではない。
先月、前例のないくらいに大きな台風が私の住んでいる地域を襲うこととなった。ふと、ふみえさんを思い出して、私はできる限りの備えをすることにした。ペットボトルやタンクにできる限りの水を貯めたり、ろうそくを準備したり、家の周りの飛びそうなものを家の中に閉まったり。
防災というものには終わりがない。どこまで備えるかというゴールがない。
それに、そもそも災害がくるのかどうかもわからない。
そんな未知のことに対して行う作業というものは、いささか身体的、精神的負荷を伴う。
けれど、きっとふみえさんは前向きにその作業に取り組んでいるのだということを考えたら、あのふみえさんの笑顔で頭がいっぱいになって、私はニヤニヤしながら、作業に取り組んだ。
幸い、大きな被害はなかった。私は今日も生きている。
そしてふみえさんも、きっとどこかでやっぱり鉄の女として
今日を力強く生きているのだと思う。