【短編小説】へんなともだち 〜チャラ男の渡辺くん〜
残業終わりの仕事の帰り道、今日はやけに明るい気がして空を見上げると、そこには煌々と暗闇を照らす満月が君臨していた。
満月をみて頭に浮かぶのは、お団子とススキと、それからマックの月見バーガーと、そして、チャラ男の渡辺くんだ。
渡辺くんは、新卒で入社した会社の同期で、私の斜め前の席に座っていた。
ある日彼は、煌々と蛍光灯が光るオフィスの中から窓の外に浮かんでいる満月を指さして私に言った。
「はるちゃん、今日は満月の夜だね。」と。
それからというもの、私はいつだって満月を見るたびに渡辺くんを想い出す。
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「ありがとうございます。承知いたしました。それではまた明日、オフィスでお待ちしておりますね。村上様の担当させていただきます私、名前を渡辺と申します。漢字は、渡る世間は鬼ばかりの(渡)るの字に、なべの方は、そこら辺の(辺)と書いて渡辺です。それではまた明日。」
そう言って斜め前の席で渡辺くんは電話を切った。
「ねぇ、ほんとさ、その名前の漢字の説明の仕方やめてくれない?毎回聞いてて吹き出しそうになるんだよね。」
「求職者様の印象に残るのが大切なの。みんな転職サービスなんてたくさん使ってるんだから、何かしら惹きつけなきゃでしょ。」
「まぁ、たしかにそれもそうだけど。」
私たちは、転職サービスの会社で働いている。電話をかけて、求職者様としっかりコミュニケーションをとって信頼を得ることは、この仕事においてとても重要な点である。
「さっきの人はいいかんじだったな。明日直接会って話してリレーション深めよう。」
「嘘つき。若くてノリもよさそうだったから、会ってまた口説くつもりでしょ。」
「またまたぁ、はるちゃんは冷たいねぇ。会うのはあくまで、信用を得るため!だよ笑」
「この間、求職者との関係値は、女を口説くように話したらうまく築けるとかなんとか言ってたじゃん。怪しい。」
私たちが所属する部署では、求職者様は女性の割合が断然多い。だから、男性のエージェントは警戒心を抱かれることも多く、私たち女性のエージェントよりも不利だ。
渡辺くんは最初はその不利な状況に苦戦していたものの、仕事とはいえ、求職者様の信用を得ることは、女性を口説くことと同じだと気づいてからは、コツをつかんだのか、とても調子がいいらしい。
「最近やっとコツ掴めてきたわ。」
そんなことを言いながら、渡辺くんはいそいそと帰る準備をはじめていた。
「あれ、今日もう帰るの?早くない?」
「まぁね、でももうすでに定時から1時間は過ぎてるよ。」
新入社員とはいえ、ベンチャー企業で働く私たちの定時の感覚はもうすでに麻痺している。深夜まで働くのがあたりまえの毎日。帰る準備をしている渡辺くんは、新卒社員がまだバリバリに働いているフロアの中ではいささか珍しい生き物のように見えた。
「まぁたしかに。感覚バグってたわ。なんか予定あるの?」
「うん、今日はね、こないだマッチングアプリで出会ったみかんちゃんと会うんだ。」
「相変わらず女の予定が尽きないねぇ。この間はメロンちゃんにハマってるとか言ってなかった?」
渡辺くんは、彼女なのかセフレなのかどうかは定かではないが、自分と関係がある女性たちに果物の名前をつける習性がある。
「それはそれでまた別なの。ほら、気分ってあるでしょ?メロンちゃんは大人の女性系、みかんちゃんはかわいい系なの。ちょっと見てよ。」
そう言って渡辺くんが、マッチングアプリを開いた携帯の画面を近づけてきた。
「ほら、全然違うでしょ?」
「たしかに、、。ってたしかにじゃないわ。遊ばれている彼女たちがかわいそうだわ。え、ちょっとまって。何これ?」
携帯画面を操作している間にチラリと渡辺くんのプロフィール画像が見えて、目に止まった。
「あー、これ?盛れてるでしょ?」
「盛れてるっていうか、別人みたいじゃん。てか、犬とか渡辺くん飼ってたっけ?」
渡辺くんのプロフィール画像は、かわらしい子犬を抱っこして顔に近づけている笑顔の写真だった。
「飼ってないよ。それは友だちの犬。あくまでプロフィール写真用!」
「は?犬飼ってないなら別に渡辺くん単体でいいじゃん。なんで犬とわざわざ一緒にうつるのよ。」
「はぁ、はるちゃんはわかってないな。犬と一緒に映るだけでさ、マッチする確率ぐんと上がるんだよ。」
「え、なんで?」
「だってさ、仮にはるちゃんが僕のこと知らない人間だとして、マッチングアプリにこの画像が流れてきたときのこと想像してみ?子犬をこんなに可愛がれるなんて素敵だな、きっと優しい人なんだろうなって印象にならない?」
「まぁ、わからんでもないけど、、。でも犬飼ってないなら詐欺じゃん。」
「別に一緒に映ってるからって、飼い犬である必要はないの。仮にそうじゃなかったとしてもさ、会うまでが大変なんだからアプリは。あくまで会うための手段。そして会ったらこっちのもん。ほどよい笑いと、ほどよい配慮でコロッと落とすのよ。」
「はぁ、悪い男だな。」
「悪い男かどうかはわからないよ。はるちゃんも僕の果物になって食べられてみる?」
「辞めとく。まだ仕事あるし。はい、じゃあ楽しんでいってらっしゃい。また明日ね。」
渡辺くんほどのチャラ男を私は今までの人生で見たことがない。もちろん、テレビや映画の世界にいることは知っていたけれど、まさか現実社会に実在するとは知らなかった。
渡辺くんの果物シリーズはなにもメロンちゃんやみかんちゃんだけではない。
スイカちゃん、ゆずちゃん、ぶどうちゃん、、よくもまぁそんなにたくさんの女性を一度に相手できるものだと感心する。それに、そうやってたくさんの女性と関係を持つことについて、少しも罪悪感を抱かずに堂々と人に話せる渡辺くんは生粋のチャラ男だと、もはや尊敬に値するレベルだ。
とそんな感心をしている場合ではない。仕事仕事、私は仕事をしなければ。
そんな忙しく仕事に追われる毎日を送っていたある日、私は社会人生活ではじめて、ミスをした。
「大丈夫大丈夫。そんな大したミスじゃないから、リカバリーできるよ。はい、切り替えて次行こう。」
教育係の上司も、ほかの同期たちもそう言って慰めてくれたのだけれど、ミスはミスだ。しかもこんな基本的なことでミスしてしまうなんて、、私はひどくショックを受けて落ち込んだ。その日、なんとかミスのリカバリーを終えて無事帰宅したが、そのショックが長引き、夜もまともに眠れなかった。
翌日、私は体調が芳しくないままに出社し、午前中なんとか調子を取り戻そうと奮闘したが、なんだか頭にミスがチラついて思うように仕事が進まなかった。
「ねぇはるちゃん、今から渡辺くんと実花ちゃんとランチ行くんだけど一緒に行かない?」
私を心配して隣の席の奈美ちゃんが誘ってくれたけれど、気分が乗らなかった。
「ううん、私まだ昨日のミスした分みんなより遅れてるし、簡単に済ませるわ。」
そう言って私は朝買っておいたエナジードリンクを取り出して、缶を開けた。
「あんまり無理しないようにね。ちょっと今日はるちゃん顔色悪いよ。」
「気遣いありがとう。ごめんね。3人で楽しんで。」
そして私は昼食の時間も惜しんで仕事をした。
くよくよしてる場合ではない。取り返さないと。エナジードリンクもあっという間になくなって、午後の時間もあっという間に過ぎていった。闇雲に仕事をして、気づいたら時計の針は夜の9時を回っていた。
ふとトイレに行きたくなって立ち上がると、一気に目の前の景色がぐらついた。
「はるちゃん、大丈夫?」
隣の席の奈美ちゃんが、フラついた私の身体を支えてくれる。
「うん、大丈夫。ごめんごめん。ふらついちゃった。ちょっとトイレ行ってくるね。」
フラフラの足で必死でトイレに辿り着き、ため息をついて便座に座ると、なんだか涙が溢れてきた。
「私、何してるんだろう。」
そう呟いてみたものの、私がいるのはオフィスのトイレで、ゆっくりと休める寝床なんかじゃなくて、狭くて手の届く白い壁も、右手にあるトイレットペーパーも、ウォシュレットのスイッチも、どこをどう見てもオフィスのトイレでしかなくて、逃げ出したくても結局のところ、オフィスの自分の席に戻るしか選択肢がなかった。
10分くらい経った頃だろうか、なんとかみんなに気づかれないよう涙を拭いて、自分の席に私は戻った。
「はるちゃん、大丈夫?ほんとに顔色悪いよ。さっきおにぎり下のコンビニで買ってきたから今日はこれ食べて帰りなよ。あっためてもらった。」
奈美ちゃんが私におにぎりを差し出してくれる。それを手にしたときのあたたかさが身体に染み渡って私の目からまた涙がこぼれそうになる。
「ありがとう。本当にありがとう。」
涙がこぼれ落ちないよう少し上を向いたまま、私は自分の席に座って、パソコン画面に戻った。まだ今日の仕事は終われない。
「ねぇ、はるちゃん。」
「何?」
渡辺くんが斜め前から私に話しかけてきた。
「今日は満月の夜だね。」
煌々と蛍光灯が光るオフィスの中から窓の外に浮かんでいる満月を渡辺くんが指さしている。
「そうだね。それがどうかした?」
「はるちゃん、今日満月の夜だよ?」
「だから何よ。」
「ムラムラしない?満月の夜だから。」
唐突な質問に私は声を失う。満月の夜に妊婦が産気づくという話は聞いたことがあるが、満月の夜に人がムラムラするという話は初耳だ。
「ムラムラするの?満月の夜だと。」
「もう、僕とホテル行こうって誘い文句じゃん。にぶいなぁ。」
「はぁ?何それ、聞いたことないし相当きもいよ。」
訳がわからなくて私は笑った。隣の席で奈美ちゃんも笑っている。
「笑い事じゃないよ。僕結構本気だよ?早く帰る準備しなよ。ほら、一緒に帰るよ!」
そう言って渡辺くんが斜め前で帰り支度をはじめた。たしかに、もうもはやどうでもいいのかもしれない。目の前のパソコン上に広がるタスクも、みんなに遅れをとらないようにしがみついていた仕事も。別に今日しなくたって、明日どうにでもなるのかもしれない。
「、、、冗談やめてよ。」
「今さ、ちょっと間があいたよね。その間にさ、仕事を終えて僕に抱かれる選択肢も悪くないって思ったでしょ?」
「、、、思ってないよ。」
「いーや絶対今の間は思ったね。怪しかったもん。」
「だから思ってないってば、、、。」
「ほら、別にさ、明日やればいんだよ。今日やらないといけない大切な仕事なんてないの。仕事よりもさ大切なことなんてたくさんあるんだから。今のはるちゃんには、家に帰ってちゃんと寝ることが一番大切なことだよ。」
そう言って渡辺くんは斜め前の席から手を伸ばして私のノートパソコン画面をパタンと閉じた。
「ほら、一緒に帰るよ。はるちゃんも帰る準備して。」
「うん。わかった。」
そう言って、渡辺くんに言われるがままに私は帰り支度を済ませ、待ってくれていた渡辺くんとオフィスを出て、駅のホームまで一緒に歩いた。気づいたらこぼれ落ちそうになっていた涙もいつの間にか引いていた。
「ねぇ、今日はありがとう。」
「ん、何が?」
「ううん、なんでもない。」
「ほんとはまだ僕に抱かれたいって思ってるでしょ?」
「んなわけないじゃん。」
「まだ遅くはないよ。だって今日早く上がったから10時前だし。」
「だからぁ、抱かれたいとか思ってないってばぁ。」
「そっかぁ、残念だな〜。はるちゃん可愛いし抱く気満々だったんだけどな〜。」
そう言って渡辺くんはわざとらしく、まるで拗ねた子どものように肩をすくめた。
「ごめんごめん。今日は言われた通りに帰ります。」
「じゃあまた今度抱いてやるよ。」
「満月の夜に?」
「そう、満月の夜に。」
「考えとく。」
私たちはそう言って笑い合って、たどり着いた駅のホームで別れた。ヒラヒラと手を振る渡辺くんを見送りながら、久しぶりに笑ったからなのか、頬が少し筋肉痛みたいに痛くなっていることに気づいた。心地よい痛みだった。
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あの日の渡辺くんの手を振る後ろ姿が、今宵、目の前に大きく堂々と浮かんでいる満月に重なる。
そして、私はなぜか、もう何年も会っていないのにムラムラして渡辺くんに抱かれたくなる。
いつのまにか、満月の夜にムラムラする心と身体になっているようだ。
渡辺くんは今どこで何をしているのだろうか。
きっとだけれど、渡辺くんは今日も、鬼ばかりの世間の中を上手に渡り歩いて、そこら辺にいる女たちを、今宵の満月の夜に、あのクサイ誘い文句で誘惑して抱いているのかもしれない。