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【映画】正直に生きるって難しい『ナミビアの砂漠/山中瑤子監督』

最近いろんな人のSNSで拝見して、観ないわけにはいかないと思っていた話題作「ナミビアの砂漠」を映画館で観てきた。

もちろんきれいに影響されてしまって、映画を観たその日の夜、私は久しぶりにipadでナミブ砂漠の野生動物たちのライブ映像を開いて、それを眺めながら安らかな眠りに落ちた。

映画に登場するカナが、時間があればこのライブ映像を観ていたように、私自身も数年前、友人に紹介されたこの映像を、眠れない夜なんかにずっと観て、野生動物たちの足音や水を飲む音を聞きながら、よく眠りに落ちていたものだった。

うれしいことにこの映像が撮られている国ナミビアとの時差は7時間。
私たちが眠ろうと思ってもどうしても眠れない夜の時刻は、ナミビアの夕方くらいの時間帯にあたるので、眠れないと思って開くと、たくさんの野生動物たちがかなりの頻度で水を飲んでいる姿に遭遇できるので、眠れない夜にはイチオシの映像であると言っていい。

この映画のタイトルの意味など知らずに、この映画を観て、主人公カナが定期的に見ているスマホの小さな画面で流れている動画が、まさに私が一時期ずっと見ていた野生動物たちの動画と一緒だと気づいた私が、この主人公に共感しなかったはずがない。

そんな私が、この映画を観て、見事に共感させられた部分を下記に綴っておこうと思う。

前提として、映画を観て主人公カナに共感した私と、カナの似ているなと思った点について書いておく。

私もカナも「正直者だ。」

そんなことを思った。

映画を観ているとわかるが、周りの意見とかにあまり左右されずに、カナは自分の考えとか感情に割と正直に生きているな。と思った。
周りの目とか気にせず、結構どこでも自由にタバコ吸っちゃうところとか。
明らかに手放さない方がいい安定彼氏手放して、新しい彼氏と急に同棲しちゃうところとか。自分の仕事の意味のなさに急激に気づいて、急にぷつりと辞めちゃうところとか。

カナほどわかりやすくはないけれど、私もだいぶ心当たりがある。
きっとこの映画を観た人たちはカナに対して下記のような印象を抱く人が多いのではないかと思う。

「自由人だよね。」とか
「裏表全然ないよね。」とか
「自分らしく正直に生きててうらやましい。」とか
「人間らしく生きてるって感じだよね。」とか

私もカナと同じように、そういう風に周りから言われてうらやましがられることは、今までの人生で何度もあった。
そして、似てるなと思ったと同時に、こうやって正直に生きているからこそ、生きづらいんだろうなとも思った。

「正直者」であることは、幼い頃からいいことだと教えられてきたし
人からそうやってうらやましがられると、普通にうれしかったりもする。

けど、生きづらい。

なぜなら、今私が生きている日本社会において、正直者、自分の考えとか感情に正直に生きている人の方が少ないから。普通に圧倒的マイノリティ感を感じながら生きてきたという自信が私にはある。

「やってることと思ってることが違う人がそこらじゅうにいるのは怖い。」


まさに、カナがカウンセリングの最中に言っていた通りの恐怖を私も社会人になってからずっと味わってきた。学生の頃はそうでもなかった。けれどなぜか人は社会に出て、どこかの組織とか企業という形態に雇われる身(サラリーマン)になると、ほとんどの人が「やってることと思ってることが違う」くなる。

そして一番怖いのは、そうやって「やってることと思ってることが違う」ことにみんな慣れてしまって、それがあたかもあたりまえのことであるかのようになってしまうこと。

この間まで、そうやって、社会の違和感について語り合っていたはずなのに、急に「思ってることとは違う」ことを、あたりまえのようなしたり顔でやっていたりする人に遭遇したときなんかは、その人が自分の近くにいればいるほど、恐怖で私は仕方がなかった。

私はこの「やってることと思ってることが違う人」がずっとめちゃくちゃ嫌いだった。なぜなら、怖かったから。どうして、この人たちは、自分がやってることが違うってわかってるのに、嘘をついたまま、毎日を過ごせるのだろうか。正直者で嘘がつけない私には、理解できない世界線だった。

みんながみんなサイコパスに見えた。怖くて怖くて、そういう人たちから何度も逃げた。そういう人が周りに増えてくるたび、怖くなって会社に行きたくなくなった。

もちろん、そういう私自身だって、結局のところ、どんなに自分の仕事とか、会社の方向性みたいなものに納得できないと思っていたとしても、そういうことを上司に指摘したところで、嫌がられて疎まれるだけだったし、途中からは我慢して、自分のやってることに意味を感じなくたって、周りと同じように、違うと自分自身を思いこませながら、仕事しているときもあった。

主人公のカナが、エステ脱毛の仕事をしながら、それよりも医療脱毛に行かないと意味がないことをわかっていながらも、それを口に出さずに普通に仕事をしていたように。

けれど、だいたいいつも限界がきて、その度に何度も私は会社を辞めた。
カナがぷつりと切れて急に仕事に行かなくなったように。私も急にぷつっと何かが切れた音がして、無断欠勤とか無断退職をしたことはなかったけれど、「もう無理、辞めなきゃ。」と思って辞めなかったことは一度もない。

最近、そうやって人の行動と思考が一致しないことは、社会がそうさせているからであって、それだけで人は語れないのだ(そもそも人はさまざまな顔を持っている)ということを認識しはじめてやっとうまく付き合えるようになったけれど、たぶん、そう気づくまでに普通の人よりも尋常じゃない時間がかかったように思う。

ずっと生きづらかった。

だから、私とか、たぶんだけど主人公のカナからしたら、よっぽど、正直にならずに、うまく嘘をついたり、自分の感情とかをうまくコントロールして、世の中を上手に渡り歩いている人の方が断然うらやましいのだ。とそう思った。

「日本は少子化と貧困で終わっていくので、今後の目標は生存です。」

このカナのセリフを聞いて、私は救われたと思った。
私も一緒だと、同じ同志を見つけたような感覚になったから。

今後の目標は生存って
私もずっと前からそう思って生きてきた。

こんな周りがみんな嘘だらけの中で、どうやって正直者の私は生きていけばいいのか、できることなら私だってうまい具合に嘘をつきながら、自分では納得のいかないことに周りと同じように迎合しながら生きていくためにはどうすれば、、、。
何度も周りに合わせようとして、何度も失敗して、その度に転職が難しくなってきていて、、、。結果、今はとりあえず無職だ。

社会人になって、最初は、世のため人のため、社会に貢献するために働こうなんて、思っていた考えはとうの昔に捨てた。
だって、普通に、そんな場合じゃない。自分がどうやってそんな嘘だらけの世の中で生存していくのかが最優先だと思って生きている。

生存が生きる目的になるって
その要因は、ここに挙げている少子化とか、貧困だけじゃないと私が思ったように、カナもそう思っているのではないかと勝手に思った。

そして、こうやって私自身とカナが重なるからこそ、カナがナミブの砂漠の映像を、暇さえあれば観ていた意味がよくわかる。

うらやましいのだ。普通に。
生きるために、生きるためだけに、水を飲みにきている野生動物たちが。
本当のところ、もしかすると動物たちにも、そこに来る他の意味が存在しているのかもしれないけれど、私たちにはそれはわからない。
ただシンプルに、生存のために、その水飲み場を訪れる動物たちに、カナは自分自身を重ねていたのだと、私はそう感じた。私自身もそうだったから。

嘘だらけの世界の中で、その映像を観ていれば、私たちと同じように「水を飲みたいと思ったときに水を飲む。」自分の行動と思考が一致している仲間たちに会うことができる。シマウマであれ、ダチョウであれ、ヌーであれ、個体は違えど、みんな目的は一緒だ。

この映画を観ながら、そうやって仲間意識を感じるからこそ、この映像を観ていたのだと、妙に納得させられた。

最後に、ちょっと暗い話を上記に書いてしまったけれど、私的にはこの映画を観て、非常によかったと思っていて、別にまた今後の人生のやる気が出たという訳ではないけれど、「自分は別にこのままではいいんだ。」と自分自身の生きづらさを肯定された気がして、うれしかった。

最後の唐田えりかさん演じる遠山さんのフレーズなんかは、かなり心に刺さった。

「大丈夫だよ。百年後には全員死んでるでしょ。」

だから大丈夫だよって、そう言われた気がして、心が救われた。

それに、映画の後、監督のインタビュー記事を読んだのだけれど、そこにも私が感じ取ったようなことを、監督が映画に込めていたことがわかったので、すごくうれしかった。一部引用しておく。

『ナミビア』のなかでカナという人間が過ごすある一定の時間はもしかしたらすごく無意味に見えるかもしれないけど、別にそういう時期があってもいいし、一生それでも別にいい。混沌としていたっていいし。それを自分にも言いたくて。諦め前提で、守りに入って正しい選択をしていく、みたいなことより、もうちょっと実存を生きようというような気持ちがあります。それは、自分が21歳のときには気づけなかったし、自覚できなかったことで。だからいま、そういう映画を撮ったのかもしれません。

上記URLの記事より引用


私と同じような正直で生きづらさを感じている人たちに、そして、社会に対して違和感を感じながらも我慢して生きている人たちに、もっともっと広まってほしいと思った映画だった。

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