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【山ギャル日記】私のヤマブーム
先日の日記の続きを書こうと思う。
今日はここで、「山」が自分自身の中でどのように流行っているのかということを書いておきたいと思う。
ときは、2017年。約7年ほど前にさかのぼる。
その当時、私はキラキラとした、いわゆる都会で働いていて、たしかにきらびやかで華やかな世界は、それはそれで素敵だったのだけれど、どう考えても自分とは釣り合っていない都会の生活に、身体と心が蝕まれていたのをよく覚えている。
そんなとき、偶然で突然に連絡がきた高校時代の同級生の友人に誘われて、とある山を訪れた。
自分自身が今住んでいる都会の生活とは対照的に、自然豊かでなんだか時の流れがゆったりとしたその環境で山暮らしをしている友人の生活に魅せられてしまった。
それからまもなく、私は都会の生活に終止符を打ち、急に山暮らしをはじめることになった。その当時、私はたしか23歳だったと思う。
山での生活は、自分に合っていたのだと思う。その友人と同じ職場を紹介してもらって、とある山奥にある林間学校のインストラクターの仕事をしながら、私は古民家に住んで、山の暮らしを楽しんだ。
どんぐり拾ったり、家で花や野菜を育ててみたり、梅をもらって、梅酒や梅シロップをいちから作ってみたり、毎日のように自炊するようになって、身体は健康的で、心の状態も安定していく自分がいるのがわかった。
結局、その山に3年ほど住んで、けれどその当時、身も心も若かったのもあって、カエルより人間の数が多いであろう場所へ、人との出会いがもう少しあるところに住みたいと、刺激を求めて私は山を下りることになった。山を下りた当時、私は26歳だった。
それ以降、しばらくの間、都会ではなく、山よりはもう少し人のいる地方に住んだ。
数年経って、ちょうど山の暮らしが過去になりつつあった頃、思い出記録として、その経験を言葉にしてみたいと、今年の創作大賞に、私はその山暮らしの話を小説に綴ってみた。
忘れたくないよき思い出だったので、形にできてよかったとそう思って、けれど、ちょうど書き終えたタイミングでは、またすぐすぐ山に住みたいなんて、私はこれっぽっちも思っていなかった。
それなのに
急に会社都合退職で、職場を辞めることになったこの夏、しばらくの無職期間、訪れたタイの異国の地で生活をしているときに、なぜか、私はふと、「逆にまた山に住みたい」そんなことを思ってしまった。
なぜだかはいまいちよくわからない。
けれどそんなことを考え出してしまった私は止められなくて、たまたまタイから帰る飛行機の待ち時間で見つけたとある山の求人に惹かれてしまって、応募ボタンをぽちり。
帰るなり2週間も経たないうちに、私は自分が住んでいた山とは異なる、新しい山の地を訪れていた。
訪れたが最後、もう「ここに住むしかない」そうそこで決めてしまって、決めてしまったら、ありがたいことにその求人に受かってしまって、そして今、私の新しい山での生活がはじまろうとしている。
正直なところを言えば、たぶん山暮らしをこれからはじめようと思っている人の誰よりも山暮らしに向いていない自信がある。
その理由は後々書きたいのだけれど、つまり、そんな自信満々に言いきれてしまう私が、ここまで山に惹かれ、ここまで山が好きで、こんなにも山に住むことが自分自身の中で流行っていることの自覚がまったくなかった。
それなのに
書いてみて改めて思ったけれど、どう見ても、私の中で、山が流行っている事実は明確のようだ。
流行っているというより、仕事に生活に、自分の人生の大部分を山に預けてしまっている時点でもはや、狂っているのかもしれない。
なぜこんなにも私は山に惹かれてしまうのか。自分でもまだ明らかになっていない部分を、次の日記で、新しい山の生活が本格的になる前に、言語化しておこうとそう思う。