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【読書】喫うことがままらない世の中の片隅で『もうすぐ絶滅するという煙草について』 

私は今、猛烈に迷っている。
長年吸い続けた煙草を
喫い続けるか
否か

喫煙という行為がどこまででも追いやられている世の中で
禁煙する理由を見つけることは容易だ。


引き上げられた税金による金銭的な問題
他者にまで及ぶ健康被害
黒い肺、落ちる灰、漂う匂いによる清潔感の欠如


それを理解した上で、喫い続ける意味を見出すことは、甚だ難しい。

そんなとき、この本をふと手に取ってしまった。

それでも煙草を喫い続ける。
そこには無理な言い訳なんかじゃなくて、れっきとした文化として
煙草への愛が、意義が、綴られていた。

わたしにとって煙草とは、日常の時間に「空白」を作り出してくれる仕掛けなのである。
一本の煙草に火をつけて、それを吸い終えるまでの五分か十分の間、私は目先の仕事をすべて放り出し、純粋状態の「ポーズ」に身を委ねる権利を手にすることになる。どんなに焦っても駄目なものは駄目だ、一度全部リセットして最初から考え直そうという気分になったとき、ふと煙草に手を伸ばす。五分か十分、日常の時間の外に出て、頭をからっぽにしてみるのだ。それからまた日常の中に戻ってくると、今まで見えなかったことが不意に見えるようになっているのに気づいて驚いたりする。                      「煙草」松浦寿輝

煙草は或は生理的に少々害もありさうなと思はないでもないが、僕にとつては生理的の害より心理的な益の方が多いやうに思はれてやめないのである。煙草は僕の舌頭は極く稀にしかよろこばせないが、僕の心頭にはいつも間違ひなく楽しみを与へてくれる。煙草を口にしさへすれば僕の心には必ず「閑散の時」が来て、日常生活の煩はしさを煙の向ふに追ひやつてくれる。これはニコチンの作用だかそれともただの習慣のせいだか知らないが、ともかくも事実である。                    
「たばことライター」佐藤春夫

経済活動を営むことを強制させられる資本主義社会において、自分自身の日常の中に「空白」、「閑散の時」といったものを、定期的に見つけて作り出すということは難しい。

たばこは要らん、という人はストレスを感じないで生きている人でしょう。
ということはものを考えん、感じんということや。
僕は体の健康よりも魂の健康や。
この四十年間、煙にしてしまった金額はちょっとしたものになると思うが惜しくはない。たばこを吸いながら、人をケムに巻き、自分自身もケムに巻いて死ねたら最高ですよ。人生は煙とともに、サ。
「人生は煙とともに」開高健

最近では文章を読んだだけで書き手が非喫煙者かどうかがわかるようになってきた。まず文章にまとまりがなく散漫である。話が途中でことわりもなく横へそれる。二元論ができない。帰納的ではなく演繹的であり、だからやたらとわかりやすいかわりにすぐありきたりの結論にとびつく。どう読んでも自分の書きたいことだけを自分が楽しんで書いているとは思えない。小生、自分がもし禁煙してそのような文章を書くぐらいなら、早死してもいいから喫煙を続けようと思っている。そんな文章ばかり書いて長生きしたってまったくもう、何にもならないからである。
「喫煙者差別に一言申す」筒井康隆

少し極端な主張ととらえる人もいるのかもしれないけれど、こうやって、私たちが、今日において親しんでいる本を書いた人たちと煙草に密接な関わりがあったことは、素敵な一種の文化なのではないかと思う。

公園に吸殻を散らかし
家じゅうに灰を落し
ズボンに焼焦をつくり
空気をよごし
ライターに無駄金を使い
爪も歯もきいろく染め
風邪をこじらせ
あげくの果に肺ガンになり
いいことは何ひとつないのに
世界じゅうの人間が
国境を問わず人種を問わず好むという
人間の人間らしさのおろかな証し・・・・
だが私はとりわけこうした
非衛生的な人類というやつがいとしい
「煙草の害について」谷川俊太郎

これからいつまで、煙草という文化が続くのかはわからない。
今にも消え入りそうな予感しかないけれど

けれどというよりだからこそ

喫うことがままらない世の中の片隅で
もう少しだけ、けむりにまみれて生活をしていたい。
そう思える一冊だった。

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