【映画】自分にとっての中華統一を考えてみる『キングダム/佐藤信介監督』
私もことごとくミーハーだなと思いつつ、映画館へ両親に誘われるがままに観に行ってしまった。
予想通りというか想像通りというか
普通に「王騎将軍かっけぇぇぇぇ!!!!!!!」
てか演じた「大沢たかおまじすげぇ!!!!!!」
的な感じで、またこの映画と、演者のファンになってしまった。
ちなみに、映画館ではないが、第1章も第2章もテレビを録画してがっつり観た。アニメも全部ではないけれど、徐々にAmazonprimeで観進めている。(観はじめると極めて不健康な生活になり、私生活が破綻しそうになるので、あくまで徐々に観ている。)
私は、もちろん王騎将軍も好きだけれど、一番好きなのは、長澤まさみ演じるよう楊端和(ようたんわ)だ。何なら、あの時代がまた明日にでも訪れるとするなら、自分自身で獰猛で勇敢な森の民たちを、他には伝わらぬ言語で率いてみたいと夢に見ている。
これ以上書くと趣旨が変わってきそうなので、この辺で辞めておくが、そのぐらい熱く引き込まれたこの映画を観て、私自身が感じた1つのとある考察を下記に綴っておきたいと思う。
映画「キングダム」どの章を観ても思い出してしまうのは、学生の頃に見た、とあるTEDTalksのスピーチだ。
サイモン シネック:優れたリーダーはどうやって行動を促すか
Simon Sinek:How great leaders inspire action
学生の頃に見て、非常に印象深かったので、めちゃくちゃ覚えている。
簡単に言えば、「今や世界的企業となったAppleや、アメリカの黒人公民権運動の指導者として名高いキング牧師などが、なぜ、多くの人々の心に響いて、その人々を率いて、大業を成し遂げることができたのか。」という切り口から、優れたリーダー論として独自に考察し、ゴールデンサークルという概念を導き出した人物のスピーチだ。
ここで彼の主張する、優れたリーダー論に、映画に出てくる吉沢亮演じる秦国王、嬴政(えいせい)がぴったりと重なったので、私は映画を観ながらこのスピーチをことごとく思い出したのである。
スピーチの中で彼はこう主張する。
まさに、映画そのものを表している言葉だと思う。
一番痛烈にシーンとして覚えているのは、第1章の終盤、山の民たちに援助を求めるために政が、私の大好きな楊端和(ようたんわ)に交渉するシーン。
政は、あくまで戦いは恨みつらみを晴らすためにするものではなく、その先に「国境をなくし、中華を統一する」という夢を掲げ、戦乱の世を終わらせ、平和な世を築くために、自分たちは戦っているのだと表明し、そこに感銘を受けた楊端和(ようたんわ)が賛同し、ともに戦いはじめるというもの。
結局のところ、その「中華統一」という一つの大きな夢を掲げ、その大きすぎる大志に向かってゆるぎなく突き進む政の姿に、みなが心を動かされ、またたくまに仲間となり、一団となって戦ってゆく。王騎将軍だってその志に心を動かされた1人なのである。
そう考えると、この物語の中において、政の掲げる「中華統一」という夢が、いかに重要なものであるかが改めて思い知らされる。
もしも物語の中で政が、それを唱えなかったとするなら、山の民だって助けにこないどころか、交渉したその場で見るも無残にみな殺されていただろうし、王騎将軍だって、仲間になることがなかったと思う。そもそも、一番政に忠実に仕えて最初から1人バカ熱くなっていた昌文君(しょうぶんくん)までも、バカ冷めて最初から政に仕えることなどなかったのではないかと思ったりもする。そうなると物語自体がはじまらなくなってくる。
そうやって考えると
政が提示した「why」
「なぜ、私たちは戦うのか。」
という部分を人々に表明した上で、その志を自ら体現して剣を手に取る王の姿を示した政は、スピーチで言うところの、優れたリーダーの一人だということができると思う。
もし自分自身が、その当時の秦国のいち民だったとするなら、間違いなくその夢に、自分自身の生きる意味を復活させるのだろうなと思ったりする。
だって今までは、ただ攻めてくる敵に対して、仲間が殺され、自分自身も死ぬ思いをしながらただ戦うだけだったのに
それが中華統一の夢を目指す過程だなんて
ほんっと素敵じゃん!!!てか、かっけぇじゃん!!!
バイブス最高!!!頑張って戦います!!!
ってなっていると思う。
ここに、この映画が大ヒットする理由もあるように私は思う。
要するに羨ましく見えてしまうのだ。
戦乱の世は終わり、私たちの生きる現代日本は、政が夢見たところの戦乱のない平和な世の中だ。
その中で多くの人がよく「夢がない」とか「やりたいことがわからない」と悩み、落ち込み、生きる意味を見失う。
私だって例にも漏れず、あふれ出てくる行く先のない虚無感的なものに打ちひしがれながら生きてきた。
もちろん全員ではないかもしれないけれど、きっとこの映画を観た多くの人は、そうやって、叶わないかもしれないけれど、それでも、大きな夢を抱いて、その志を確かに共有し、仲間とともに戦っていく姿に、今の自分の日常にはない、羨ましさを感じてしまう人も多かったのではないかと感じてしまう。
もちろん、世界を見渡せば、戦争なども起こっているけれど、基本的に今日本に普通に生きていれば、いつ攻めてくるかわからない敵におびえる必要もないし、朝起きて外に出た瞬間に誰かに斬られる心配をして生きなくても大丈夫だし、それってものすごく幸せなことなんだろうけれど、、、、。
なんだか物足りない、、、、。しっくりこない。
このままではいけない、この世の中はずっとは続かないんだろうけれど、それでも別についていきたい人なんていないし、夢なんて抱いたところで叶わないなら苦しくて悲しいだけ、、、、。
そんな閉塞感の中で生きなければならないのなら、それならばなおのこといっそ、この映画の時代にいつ殺されるかわからないというリスクを背負いながらも、みながともに目指す大志を目指して戦っていた方が、なんだか人間らしくて、素敵な人生なのではないか。
超偏った意見かもしれないけれど、なんとなく、私は映画を観ながらそんなことを思って、しんみりしてしまった。
けれど、なんかしんみりして、結局のところ映画を映画として消費するだけなのももったいない気がしてきたので、こと、スピーチで彼が唱えている「why(なぜ)」を優れたリーダー論としてではなく、自分個人の人生に取りいれることができないのだろうかと私は考えてみた。
つまりは、政が唱えている「中華統一」という夢を自分に置き換えて考えてみるということ。
政や、王騎たちがこぞって人生を賭けた「何のために生きているのか」「何のために戦っているのか」という部分を、自分に置き換えて考えてみる。
「自分は何のために生きているのか」
そういえば無職になってからよく、このことを考えるようになった気がしている。それまでは結構明確だった。理由は簡単で、ずっと心の中で「人は誰かのために、社会のために生きなければならない」という絶対的な価値観が自分の中にあって、それに伴って、それを仕事という場所で消化してきていたように思う。
「誰かのために、社会のために生きる=仕事する=自分が生きる理由」
みたいなかんじ。それはそれで、いわゆるやりがいを感じて働けてたし、楽しかったけれど、そのために仕事人間と化して、自分自身がすり減らされて、そうやって生きることに限界を迎えていたことはどう考えても事実だ。
それならば改めて
「自分は何のために生きているのか。」
もう少し、「自分のために」という観点にスポットを当ててみるといいのかもしれない。誰かのため、社会のためなんて、周りの目線を、ノイズを排除したら、私はなぜ、生きているのか。何のために生きたいと思うのだろうか。
「・・・・・・」
難しい。けど、難しいと思ってしまうのもそのはずで、これだけ何においても結果を求められる世の中で生きてきて、夢の感覚がバグっているのだ。
叶わない夢ならば抱く必要がない。結果が割とちょっと頑張れば出そうな夢、手が届きそうな夢、を自分が探していることに気がつく。改めて、社会って怖いなって思う。
そう、だって映画を観ていて思うのは、あの、誰もが恐れ、最強と言われた王騎将軍だって、結局、「中華統一」という夢を叶えることなく夢半ばで死んでゆくのだ。私的に、ちょっと不謹慎かもしれないけれど、そこに私はこの映画を観て一番勇気づけられた。別に夢って叶えるために抱くものでもないんじゃないかって。たしかに、王騎将軍は亡くなってしまったけれど、「中華統一」という夢を目指して、仲間を鼓舞して、戦って、何なら敵に今回の戦いの目的は「勝利」ではなく「王騎の死」だ。とまでも言わしめた存在になれるって、めちゃくちゃすごくないか。と思ったりもする。そして、その言葉通り、たくさんの仲間にその死を嘆き悲しませて、その死を持ってしてまた、その大きな大志を確固たるものに秦国の仲間たちをまとめあげた存在になりうるって、かっこよすぎるし、ある意味、めちゃくちゃ幸せな死なのではないか。と。
つまり言いたいのは、夢なんて別に叶わずに終わっても、その過程で誰か1人でも心を動かせるのなら、別に誰かの心を動かす必要だってないのかもしれない。自分自身が、そこに注力して努力して、楽しんだ過程さえあれば、それで、それだけでめちゃくちゃ幸せなことなのではないか。と。
それであれば別に叶えることを前提として夢を抱く必要はないのだ。
みたいなあたりまえかもしれないけれど、大切だなと思うことに気づいて、自分の「中華統一」について改めて考えてみる。
「誰かが世に必要だと思って書き残した本を、一冊でも多く読むこと。」
「誰か1人でも読んでくれる人がいる限り、文章を書き続けること。」
今のところ私にとっての「中華統一」はこんな感じだろうか。
たぶん、医学の進歩によって200歳まで私が生きることができたとしても、世の中にあるすべての本を読み切ることはできないだろうし
文章を書き続けたとして、誰1人読んでくれないこともあるかもしれないし、ただ書き残しただけで終わる可能性だって高い。
それでも、それでも本を読みたいし、文章を書いていたい。
それが楽しいし、それが一番「生きている」っていう感覚にしっくりするなと今現時点ではそんなことを思っている。
あぁ、なんだかしんみりした気持ちが、すっきりした気持ちに変わった。
私的にはまた、続編も見たいなと思ったりする。
観てよかったと思える映画だった。