【映画】人間に戻るという感覚の大切さ『かもめ食堂/荻上直子監督』
やっと自分にもこの映画を観るときがきたと思ったとある日の深夜、おもむろにamazonprimeを開いて観てしまった。
「あぁ、やっぱり今だったんだ。」
映画を観終えて、なんとなく、そんなことを感動の涙ながらに思った。
この映画の舞台は、北欧の国フィンランド。上記予告編の最後にも記載があるが、邦画初のオール・フィンランド撮影の映画らしい。そんな異国の地で、主人公さちえさんがヘルシンキで営む小さな飲食店「かもめ食堂」を中心に物語が展開されていく。
物語の中で、その食堂に、ひょんなことから旅途中のみどりさん、まさこさんの日本人2人が加わり、その3人の人間模様を中心に、なんだか素敵な非日常が描かれている。
あくまで舞台は非日常だ。
フィンランドだし
さちえさんが開いている「かもめ食堂」だって、出しているメニューは日本食でその国の中では、ちょっと珍しいし、それにさちえさんもまだその食堂をはじめて1か月のところから物語はスタートするし
みどりさんだって、まさこさんだって、ずっと日本で生きてきて、ふらっと旅しにきた見知らぬ地で、「かもめ食堂」に出会っただけだ。
それなのに、まるでその3人が、長年連れ添って生きてきたパートナーたちのように、あうんの呼吸で対話していて、ゆっくりと、まったりと流れていく時間の流れに、まるで、家の近所にある古き良き食堂のようなあたたかな「日常」を感じとることができる。
けれどここで言う「日常」は
ものすごく私たちの生活に近いように細工されているだけで
現実に近いものでは決してない。
どちらかというと、人々が願う「理想の日常」に近いのだろうなと思った。
この映画に描かれている「理想の日常」は、現実社会からツッコミを入れると結構な夢物語だ。普通開店して1か月もお客さんゼロでお店は回らないだろうし、お客さんが増えたとはいえ、それなりに原価もかかるメニューだし、それに回転率も悪そうだし。普通にさちえさんの生計面はどうなっているんだろうという疑問も浮かぶ。
みどりさんとまさこさんだって、しばらくの間滞在するつもりでフィンランドに来たとはいえ、結構な長い期間、滞在している旅費や滞在費のことを考えると、相当な富裕層でないと話は成り立たない。
それでも、私はこの映画を通してやっぱり、この「理想の日常」を目指したい。そんなことを思ってしまった。
というより、ここに描かれている「日常」が理想になっている世の中に対してものすごく違和感を持ってしまった。
彼女たちの「日常」は、とても人間らしい。とそう思う。
朝健康的な時間に起きて、お店の開店の準備をして、心許したスタッフたちと一緒にお店を切り盛りして、お金のことなんて考えすぎずに好きなメニューを作って、提供して、常連さんたちとときに対話をして、急に訪れた珍客たちの人生相談にたまにじっくりと乗ったりして(まさこさんがお酒に酔った女性を送って言語を超えて対話をしていたシーンは象徴的だった。)、店を閉めたら家に帰って、おいしくごはんを食べて、合気道で自分を整えて、そしてゆっくり寝て、明日きたる1日に備える。
さちえさんが物語途中で言っていたように
やりたいことをやっているんじゃなくて、やりたくないことをやらない。
別にたくさんのお金があるわけでも、刺激的な娯楽があるわけでもない。
でもそれでも、一緒に同じバイブスを持っている人たちがなんだか引き寄せられる空間があって、そこにいるだけで、それでいい。
みたいな「日常」
シンプルなようで、一番難しいことなんじゃないかと思う。
さちえさんが映画の中で言っていた言葉。
さらっと発言しているけど、今、そうやって生きていくことはものすごく、難しくなっていることのように感じてしまう。
けれど一番、「人間に戻る」という感覚に近いのではないかと思った。
最近無職になってからというもの、そんなことを節に感じているのかもしれない。仕事人間だった私にとって、「日常」の優先順位はめちゃくちゃ低かった。いい仕事をするために「日常」をいかに削れるかが最優先だった。とにかく仕事して、仕事して、お金を稼いで、稼いで、稼いで。
別にそれ自体をすべて批判したいわけじゃない。
けれど、そうやって1日中仕事に追われていたとき、それは私という1人の人間じゃなかった。ただ機械的に、仕事を効率よくこなしていただけの本当の機械みたいで、、、。
働かなくなって、はじめて、というか、久しぶりに「自分」という1人の人間のことについて思い出して今、朝起きたらちゃんと「自分」に挨拶して、問いかけて、毎日を生きている。
たぶんまた、いつかは仕事をしはじめるのだと思うけれど、そのときには、絶対忘れたくない感覚だと思っていたりもするし、忘れそうになったときにこの映画を思い出して取り戻したい。そう思った。
「私は何にしがみつこうとしているのだ。」と。
そういって突如訪れた森でまさこさんはたくさんのキノコを狩る。
たくさんとってきたはずだったのに、、。
気が付いたら、いつのまにかどこかに全部落としてきてしまっていた。
そのキノコがこの異国の地に着いたとき、ずっと見つからずに探していたスーツケースの中に大量に詰められている。
そのシーンに出てくるキノコたちは、今の自分でいう仕事の感覚にそっくりだと思った。今まで必死でしがみついてきたものは、森で気が付いたら落としてしまったキノコと同じくらい、案外、もしかすると自分にとって、そこまで重要なものではなかったのではないか、ということを私たちに問いかけているように感じる。
なんだか、たくさんのヒントをもらえた映画だった。