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【29歳無職日記】子どもを産むという選択について

2024年11月6日


29歳の月日もあっという間に流れていき、もうすぐ、私は30歳になる。

「子どもを産むなら30歳までに1人は産んでおきたい」

日本社会において、医療は発達し、30歳以降に出産をするケースも多々あるとは聞くが、なんだかんだで、この考え方は今現在でも女性の生き方のいわば一本の軸として、私が幼いころから変わらずに、女性たちの中に根強く残っているように感じる。

実際、ここ1年2年で、私の同年代の友人たちも、数多く出産した。
そういう年齢であるという自覚はあったけれど、ここまで顕著になるとは思っていなかったので驚きだった。ベビーブームってこんな感じなのかと、昨今の少子化を疑うくらいに、みんな一斉に出産していた。

私もそれに便乗して、、、、と、現実的に考えてみると、誕生日から逆算して、私はあと3か月以内に受精しなければ、この「30歳までには1人子どもを産む」という目標は達成できない。そんなお年頃になっている自分に驚く。

私の場合、そもそもそんな「30歳までに1人」という目標はない。
し、彼氏もパートナーもいないので「出産」という言葉は自分からはかなり遠い世界のように感じているけれど、おそらくこの先の人生のどこかで、ぶち当たる一つの問いなのだろうとは思っている。

「子どもを産む or 産まない」

結構究極な二択だと思うが
ここ最近まで、私は絶対に「産まない派」の人間だった。
理由はシンプルで、経済的にも、精神的にも、私には絶対に無理だとそう思っていたから。
経済的にも、精神的にも、自分自身1人が生きるだけで、正直なところ、精一杯だ。そもそもちゃんと生きれているかどうかも定かではない。そこにプラス1人が加わるなんて、想像もできない。

特に経済的な面を考えると、私が生きている日本社会は結構お先真っ暗だ。
景気は低迷し、給料は上がらず、なのに物価や税金は上がり、年金をもらえるかどうかだってわからない。

自分1人の月々の出費だけで精一杯だというのに、、、、。
そんな社会の中で、子育てをしている方たちに尊敬の念しかない。

私には絶対、無理無理無理無理無理。

「子どもってめちゃくちゃかわいいし、生きる目的が変わるよ」
「老後のことを考えたら、子どもがいないと寂しい」

もちろん、それだけ周りに親になった友人たちが多いと、そんな話も聞こえてくるし、おっしゃる通りだとそう思う。

でも昨今、「1人でも人生を楽しめる方法」は結構たくさんの選択肢が世の中に溢れていて、そう考えると別にそこまでして子ども産まなくても、、。
子どもに自分が稼いだ給料を費やすくらいなら、自分自身にお金をまだまだ使っていたい。

結構極端な考え方かもしれないけれど、割と本気でそんなことを思って生きてきた。

けれど最近、ちょっとそんな考え方が変化するような出来事があった。
ちょうど、とある私と同じような「産まない派」の考え方が強かった友人と電話したときのことだった。

「ねぇねぇ、『子どもを産む』って選択についてどう思う?」

急に友人が問うてきた。

「うーん。今のところは『産まない』選択肢の方が濃厚かな。現実的に考えて、1人で生きてるだけでも精一杯だし、まだまだ自分にお金使ってたいし、、。なんでそんなこと急に聞くの?」

「いや、そうだよね。私もさ、最近までその考え方だったんだけど、インドにきてだいぶ変わってきた。」

その友人は今、インドでアーユルヴェーダと呼ばれる伝統医療の勉強中だ。

「そうなの?聞かせてよ。」

「うん、アーユルヴェーダってね、まぁざっくりと言えば、インドで古来からある伝統医療で、『予防医学』に基づいたものなんだけど、ただただ病気を治す、とか、病気にならないように健康を保つみたいな観点だけじゃなくて、人の生き方とか、人本来のあり方みたいなことも学んだりするんだよね。」

「そうなんだ。なんか、すごいね。全部入ってる感じ。」

「そう、全部入ってるの。健康も身体の面だけじゃないじゃない?精神的な部分も含めて、健康って観点も必要だし。ほら、最近だと身体は健康だけど、精神的に病んじゃって、そこから身体の健康を崩す人とかもいたりするからさ。そういう意味で、人の生き方とか、あり方も学ぶんだけど、、、。」

「うんうん。」

「そうやって、人の生き方とか、本来のあり方を学んでたらさ、女性として産まれて、女性として生きる上で、子どもを産むって、ものすごく、ものすごーく自然なことなんだってわかったのよ。」

「自然なこと?」

「そう、うーん、言葉にするの難しいけど、うーん、社会の中に生きているっていう観点よりは、地球に生きる生物としての観点って言ったらいいかな。人間も動物じゃない?だから、種を絶やさずに後世に残していくことが、本来の生きる目的っていうかんじ?伝わる?」

「あー、なんとなくわかってきた。人間も一種の動物であり生き物であるっていう見方をするってことね。」

「そうそう。そうなるとさ、社会の観点で子育てをするって考えたら世の中しんどいじゃない?経済的にも、精神的にも、時間の余裕的にも、、。でも、そもそもそっちの観点から考えてる方が変なんだって思った訳よ。そもそも『人として』ていう観点が抜けすぎてるというか、、、。」

「あー---、なるほどね。だんだんわかってきたよ。たしかに、言われてみれば、その発想、私まったくなかったかも。『人として』っていう観点より『社会でどう生きていくか』みたいな観点でしか子どもを産むことについて考えてなかったわ。お金の余裕ないとか、だから1人で生きていくだけで精一杯。みたいな。そんな社会へのベクトル全部取っ払って考えたことなかったわ。」

「そうそう。あーわかってくれてうれしい。なんかね、考えたのよ。人として、女性として生きる上で、子どもを産むことがさ、自然なことって考えたら、そういう自然な生き方したくなってきて、だから最近子どもとか、家族欲しくなってきて、なんかこう腑に落ちた感じがしたんだよね。」

「なるほどね。なんか私もその発想なかったから今まで絶対に『産まない派』だったけど、ちょっと揺らいだ。」

「揺らいだ?」

「うん。てか大事だなって、社会とか世間の流れとかに束縛されてない『人として』の自分の生き方を考えるって観点。めっちゃ素敵じゃん。」

「わかってくれてうれしい!」

「じゃあ、子ども近々産むの?」

「まぁ、まだすぐすぐの予定はないし、彼氏もいないけど、その方向性で生き方変えるのかもしれない。しばらくはまだ授業あるから勉強するけどね。」

「そっか。素敵な考え方共有してくれてありがとう。」

そう言って電話を切った。

新しい考え方だと思った。
というか、それを新しい考え方だと思っている時点でやばいなと思った。

「金銭的に考えて子どもは産まない」
「この先日本社会で生きていく子どもが可哀そうだから産まない」

とかシンプルに、世間とか社会的なベクトルでしか、この問いに向き合ったことがなかった。

「そもそも生物として人は、子どもを産み、種を残していく生き物である」

その生物としてのベクトルから考えれば、子どもを産むことって、ものすごく自然で、私たちが毎日ごはんをたべて、夜眠るくらいシンプルにあたりまえのことなのだ。

その「人として、どうやって生きていくか」の観点が抜け落ちた状態で答えを出していたことは、ものすごく危険だし、やばいと思ったし、考え直さなきゃと私は思った。正直、こんな私が少数派であることを願いたい。

「子どもを産む or 産まない」

明確に出ていた答えが揺らいだ。
その新しい発想が出てきたからといってまだ、私は完全に「産みたい派」に切り替わったわけでもない。

けれど

いずれこの先、この問いについて考えるときに、安易にその時点での経済的な状況とか、社会の背景とか、そういった目先の一部始終に惑わされずに、「人として本来どう生きていたいのか」という観点を忘れずに、考えていきたいと思った最近の出来事だった。

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