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【読書】はじめての読み切った三島作品『潮騒/三島由紀夫著』
たしか高校生の頃、「金閣寺」を読んだとき、なんだかつらい気持ちになって途中で読むのを辞めてしまったことを今でもよく覚えていて、それ以来、手に取ることができなかった著者の本を、約10年以上の時を経て、再びやっと手に取ることができた。
きっかけは、最近読書漬けの毎日を送っていると、嫌でもいつだってどこかしらに目に入ってきてしまうので、なんだか避けては通れない道のような気がしてきて、とりあえず、はじめての人にも読みやすいとおすすめされていた本書を意を決して手に取ってみた。
読んでみると、なんだかはじめて「金閣寺」を読んだときの感情が嘘のように、透明度の高すぎる純愛の物語だった。
現在の三重県鳥羽市に属している神島という小さな島をモデルに描かれている小説で、本書内では歌島と呼ばれ、そこでの若い男女の純愛がめちゃくちゃきれいに描かれていた。
ストーリーとして読みやすく、面白かったことはもちろんだったのだけれど、私が一番本書を読んで、印象に残ったのは、小説内で舞台となっている島の雄大な自然、広大な海のもとで生きる人々の感情の描写だった。
いくつか下記に挙げてみる。
まずは、主人公新治が、初江にはじめて会った際、またたくまに恋に落ちてしまった様子を描いたシーン。
その晩、寝つきのよい新治が、床に入ってからいつまでも目がさえているという妙な事態が起った。一度も病気をしたことのない若者は、これが病気というものではないかと怖れた。
・・・・そのふしぎな不安は、今朝もまだつづいている。しかし新治の立つ舳先の前には、広大な海がひろがっており、その海を見ると、日々の親しい労働の活力が身内にあふれて来て、心が休まるのを覚えずにはいられない。エンジンの震動に船は小きざみにふるえ、きびしい朝風は若者の頬を搏った。
それが「恋」という感情だとはつゆ知らず、戸惑う新治のどうしようもない不安な感情を、広大な海がなだめていくという描写が、とても美しくて素敵だと思った。
人はつらくなったり、不安でどうしようもなくなったとき、自然と広大な海や、人里離れた山の中に行きたくなってしまう心理って、普遍なんだろうなと、妙に納得してしまった。
次に、主人公新治が、八代神社に行って、お祈りをするシーン。
「神様、どうか海が平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!わたくしはまだ少年ですが、いつか一人前の漁師になって、海のこと、魚のこと、舟のこと、天候のこと、何事をも熟知し何事にも熟達した優れた者になれますように!やさしい母とまだ幼ない弟の上を護ってくださいますように!・・・それから筋ちがいのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!・・・たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような・・・」
風がわたって来て、松の梢々はさわいだ。社の暗い奥にまで、そのとき吹き入った風が森厳な響きを立てた。海神は若者の祈りを嘉納したように思われた。新治は星空を仰いで、深い呼吸をした。そしてこう思った。
「こんな身勝手なお祈りをして、神様は俺に罰をお下しになったりしないだろうか」
私自身は、身内に漁師はいないし、親戚に農家をしている人もいないので、いわゆる第一次産業を営む人たちが身近にいた経験がなかったのだけれど、社会人になってから、しばらくの間、第一次産業を営む人たちと結構深く関わる機会があったときに、一番驚いたのが、この神や祈りとの距離の近さだった。
これだけ文明は発達し、世俗化が進んでいく世の中であっても、人間はまだ「自然」をすべてコントロールできた訳じゃなくて、そんな何が起こるかわからない、予測不能な自然を目の前で相手にしている人々の、神や祈りとの距離感になんだか人としてあたりまえの、大切な部分を気づかされた気がして、感銘を受けたことを今でも覚えていて、それが、上記のシーンですごく思い出されて、自分の中で言語化されて、そしてさらに感銘を受けてしまった。
次に、島に生まれながらも、東京の学校に通っている主人公新治の友人、千代子が休みの際に、島に帰郷するシーン。
千代子は東京が恋しくなった。こうした嵐の日にも、何事もなく自動車が往来し、昇降機がうごき、電車が混雑している東京が恋しくなった。あそこでは一応「自然」は征服されていたし、のこる自然の威力は敵であった。しかるにこの島では、島の人たちはあげて自然の味方をし、自然の肩をもつのであった。
祈りのシーンの描写と重なってしまう感想になるけれど、この千代子が感じ取った、いわゆる「島の人」と「都会の人」の感覚の違いが、言い得て妙で、ものすごく勉強になった。自然を征服すべき敵と考えて生きる「都会の人」と、自然を味方につけて自然とともに生きる「島の人」の考え方が異なるのはあたり前で、けれどそこを前提として捉えたら、また人との関わり方が変わってくるような気がした。
そして物語の終盤、いわゆる漁師としての出世をかけて、新治が生まれてはじめて故郷を離れるシーン。
彼は遠ざかる歌島の姿を眺めた。そのとき、この島に生れこの島に育って、何ものよりも島を愛して来た若者が、今は島を離れたいと切に思っている自分に気づいた。船長の申出をうけたのも、自分が島を離れることを希んでいたからである。島の姿が隠れると、若者の心は寧らかになった。日々の漁とはちがって、今夜はもうあそこへ帰らなくていいのだ。俺は自由になる、と彼は心に叫んだ。こんな奇妙な種類の自由もあることを、はじめて知った。
私自身も、島ではないけれど、故郷の田舎を離れたことがあって、手に入れた自由に心躍った経験があるのだけれど、割と、こういう生まれ故郷を離れた経験のある人ならきっと、みなが共感する感覚なのではないかと思ったりしている。別にそれに善悪の評価を下す必要なんてなくて、個人的にここで「こんな奇妙な種類の自由」と表現されていることに、なんだか感動してしまった。
とこんな感じで、純愛物語の背景で、人と自然との距離感が、同時に詳細に描かれていることに感動してしまって、やっぱり手に取ってみてよかったと思ったし、これからも著者の本を少しずつ、読み進めていこうと思った。