【映画】所詮人がつくったものだという認識を大切に『winny/松本優作監督』
この間たまたま観ていたyoutube番組の東出さんが、どう考えてもかっこよすぎた。
もちろんネットではさまざまな意見が飛び交っているものの、このビジュといい、生き方といい、話し方といい、穏やかさといい、これはモテてしまう訳だ。妙に納得してしまって、この動画内で触れられていた東出さんの主演映画「winny」が気になりすぎて、アマプラで早速観てしまった。
入口が東出さんだっただけに、実話をもとにしているという背景をよく知らず、ときどき、理解に苦しみながらも、なんとか観終わって、すべてを理解できないながらにも、ものすごい社会派のドキュメンタリー映画だ。ということだけはすごくよく理解できた。
ストーリーの流れはわかったけれど、細かな詳細になかなかついていけず、、。
というのも、いわゆるIT音痴で、がちがちに文系の私は、パソコンの異常も、ネットワークの不具合も、「頑張れ」と優しく声をかけて治そうとするタイプなので、もっとちゃんと詳細に映画の背景を知るために、中田さんの動画に辿り着いて、一気にその動画まで観終わった。
ちなみに、この中田さんの動画はめちゃくちゃわかりやすいので、映画に出てくるP2Pとか、Freenetとか、Napsterなどの用語の意味、その当時の日本のインターネット業界の時代変遷全体まで理解できて、とてもありがたかった。
映画、動画を観終えて、この映画のキャッチコピーにもなっている「日本がIT開発の発展に遅れをとった事件」と称されている理由は、たしかにそうなのかもしれないと思ったし、日本の優秀な開発者が、道半ば若くして亡くなってしまったことがとにかく悲しかった。
し、この映画を通して投げかけられる、日本の政治、司法、警察、検察、メディアのあり方、みたいなものに関してもすごく考えさせられることになった。
そうやって、いろいろぐるぐると考えに考えてみて
「この世の中にあるものは、所詮誰かがつくったものである」という認識を大切にしていきたい。
とそんなことを思った。
事件当時から現在にいたるまで、めまぐるしく特にインターネット業界、IT業界の進歩によって、今まで解決できなかった問題が、あっというまに解決したり、証明されたり、ときに常識が覆されたり、そんな慌ただしい変化の毎日の中で私たちは生きている。
そんな世の中で生きる中で、人はよく「人間にできないことはない」とか「人類は発達し続けているのだから、どんなときも正確で正しくて、間違ってしまうことなんてない」「真実や正義はただ一つ」といった錯覚を起こしがちだと、自分自身も含めて思ってしまうことがある。
たしかに、人類の発展はすさまじい。映画にキャプションを当てて考えれば、警察の事件の捜査の精度だったり、検察側、弁護側の証拠品の精度だったり、メディアが取り扱っている情報の量も増えてるし、それらを受け取る国民、市民ひとりひとりの情報の幅だって広がっている。それによって政治だってどんどん明らかにされて、毎日アップデートされていっている。
たしかにそうやって急激に発展していくさまをまじかで体感していると
たとえば
これだけ捜査の技術は発展しているんだから、警察が間違えることなんてないとか
司法の場で、審査するための証拠品や情報はたくさんあるんだから、間違った裁きは起きないとか
これだけネット上に政治情報や意見がのっているのだから、大多数の人が選んだ政治家は優秀でミスなんて起こさないとか
そういったITの今とか警察とか司法とか政治とかが身近じゃない人ほど、そこから遠ければ遠い人ほど、そんな錯覚をおこしがちなのであって、単なる一つの解釈に過ぎないメディアの一記事だけをうのみにしてしまいがちなんだと思う。
けれどよくよく考えてみれば
私たちが普段何気なくあたりまえに使っているインターネットや、スマホや、パソコンなどのITも、私たちが何気なくあたりまえに守っている法律や利用している制度も、テレビや新聞、SNSなどで毎日のように目にしているたくさんの情報も
もとをたどれば、どこかの誰かが、どこかの人間が生み出したものであって、付与した解釈であって、生み出した対象が人間である限り、どれも完全なものではなく、極めて不完全なものなのだ。
どんなに性能のいいIT技術があったとしても、人間が作ったものである限りは不具合は起こるし、故障だってする。
警察だって、どんなに発展した捜査技術をもっていたとしても、判断するのは人間であるから、間違うし、ミスだってする。
どんなに証拠品や審査する情報が増えようが、裁いているのは人間であり、そもそも私たちがあたりまえに守っている法律でさえ、人間が作っているものなのだから、正しい判断ができないことだって、あたりまえにある。
そうやって考えると、「これが正しい」とか「これだけが真実で事実」とか「正義は一つしかない」という一つの考え方に固執してしまうと、それはもしかするとどこかで誰かを深く傷つけたりしてしまっている可能性が高いということを、身に染みて感じてしまった。
改めて何をするにしても、毎日をどう生きていくにしても
人と接して生きていく中で、社会の中で生きていく上で
「この世の中にあるものは、所詮誰かがつくったものである」という認識を頭の片隅に必ず置いて生きていきたいとそんなことを考えさせられた映画だった。