不登校を選ぶのもひとつの人生
不登校中の娘が、最近変わった。
何ていうか、一皮むけた感じ。表情が明るくなったし、平日も自分から外に出るようになった。
変化を感じたのは、ダンス発表会が終わったあたりからだ。
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「発表会が終わったら、ダンスをやめたい」という一件を乗り越えて、自信がついたのかもしれない。
トーキョーコーヒー・デビュー
数日後、「トーキョーコーヒー」というコミュニティに行ってみないかと娘を誘ってみた。
トーキョーコーヒーとは、東京発のコーヒーショップではなく、「登校拒否」の文字をいじった造語だ。
ひとことでいうと、不登校児の居場所みたいなものだろうか。実際に訪れるまでは、そう解釈していた。
同世代の友だちに対して本当の自分を出せず、学校へ行かなくなった娘。
今までに何度かトーキョーコーヒーに行ってみようと声をかけたのだが、ハードルが高く、なかなか行く勇気が出ないようだった。
でも、今回の娘の返事は「行ってみる」だった。
思ってたんと違う
実際トーキョーコーヒーに親子で参加した感想は、いい意味で「思ってたんと違う」だった。
まず、学校や職場では当たり前の、自己紹介がない。初めて参加した人を、輪に入れようとする雰囲気もない。
話したかったら話せばいいし、誰かの話を聞いているだけでもいい。黙ってスマホをいじっていてもいい。それぞれが自然体で、同じ場所にいる。
これって、実現できそうで、なかなかできないことだと思う。
今の日本の社会において、集団生活のなかでは、ひとりでいる人を仲間に加えようとするのが一般的だ。
もちろん、場合によっては周りに合わせることも必要だと思う。
でも、人によっては、それが居心地の悪さにつながることもあるんだよね。
多分娘もそう。
自分に注目が集まらないことが、彼女にとっては良かったのだろう。ひとり黙々とパズルで遊び、たまに「できた!」とか「写真撮ってみた」とか、近くにいる大人に報告していた。
初めての場所で笑顔を見せるわが子を見て、「人間関係はこうあるべき」という概念が崩れていく。
「登校拒否」の文字をいじって、トーキョーコーヒーにするみたいに、視点が変わり、私の常識が変わった。
今まで、学校に行かなくてもいいから、どこか居場所を見つけて、人とつながりをもってほしいと焦っていた。
でも、まずは大人が見方を変える。私たちが違ったかたちでアプローチすれば、子どもも自然に行動したくなる。
トーキョーコーヒーは、理想の社会のかたちだと思った。
不登校の子どもたちが教えてくれること
初めて参加したトーキョーコーヒーからの帰り道。「楽しかった」と話す娘が見られた。湿度のない晴れた日のような、いい笑顔。
トーキョーコーヒー・デビューがきっかけとなり、私がひとはこ本棚のオーナーをしている図書室にも、娘がついてくるようになった。
図書室は、幅広い年代や職業の人が訪れる場所だ。娘は赤ちゃんを抱っこしてあやしたり、大人に混じってパンを作ったりして、コミュニケーションを楽しんでいる。
わが子の不登校がきっかけで、世の中の当たり前と向き合ってきて思う。大抵のことは常識だと思い込んでいるだけで、本当に正しいかどうかなんて分からない。
学校に行かないことを選ぶのも、ひとつの人生だ。本人がこの選択をしてよかったと思えるように毎日過ごせれば、十分なんじゃないかな。
少なくとも今、娘が娘らしくいられる場所は、学校ではないみたいだ。
不登校の子どもたちは、世界がもっと楽しくなるよう、考える機会をつくってくれている気がする。
私は、彼らが発信してくれるメッセージを、ちゃんと受け止められる大人になりたい。
娘の不登校について、親である私が思うことを素直に綴ったエッセイ集です。