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イラッとしたら「苦行スイッチ」をオンにしよう〜『聖⭐︎おにいさん』で子育てのストレスを笑い飛ばす

ブッダとイエス・キリストが立川でシェアハウスする話を知っているだろうか。

アニメ化や実写化もされているからご存じの方も多いかもしれない。中村光の『聖⭐︎おにいさん』という漫画だ。

読み始めたのは大学生のころだったろうか。
入ったのがミッション系の大学だったからか、西洋哲学を学んでいたからか、キリスト教関連の授業を取っていたわけではないのに、聖書の教えが少しずつ耳に入ってくる生活だった。高校までは、歴史の授業で十字軍やレコンキスタなどという単語を聞いただけで、教義についてはほぼ知らなかったと思う。それが少しずつわかるようになって、へえ、世界中で今もたくさんの信者を魅了し続けているのはこういう教えなのね、と先生の教えを聞いていた。何となく高尚な教養を身につけているような、そんな気持ちだった。

そこにきて出会ったのが『聖⭐︎おにいさん』だ。
私が真面目に聞いていた聖書のエピソードは、根こそぎ笑いに変えられた。家に食べるものがないからと、イエスに「パンとぶどう酒に変えられるよね?」と、石と水を夕食に出すブッダ。「泳げないなら歩けばいいじゃない」と、水が嫌すぎて気合いで湖の上を歩いたというイエス。
仏教とキリスト教を合わせて歴史をさかのぼったら、もう本当に数えきれないくらいの人々が救われていて、命をささげた人も相当数いる。それをこんなふうに冗談にしてしまっていいの!? という背徳感も相まって、思わず「ふふっ」と笑ってしまう。

ブッダのエピソードは知らないものがかなり多く、たびたびグーグル先生にお世話になった。『聖⭐︎おにいさん』に出会う前と比べたら、多少は仏教に明るくなったと言ってもよいだろう。
しかし、宗教ネタがわからないまま読んでも問題なく笑える。というか、仏教にもキリスト教にも詳しい人を漫画の読者層として狙うのはあまりにピンポイントすぎるので、わからなくてもおもしろいように描かれているのだろう。

最近また、11巻までそろっている手元のコミックスを読み返し、12〜19巻を電子版で購入した。2歳児の相手をしながら読んだわけだが、私は図らずもブッダに少しだけ救われることとなった。

ブッダは悟りを開くまでの間、さまざまな精神的・肉体的苦行に耐えた経歴を持つ。解脱した今でも苦行が趣味のようになっており、辛いことをすすんで引き受けようとする。その姿はむしろ苦しい方が燃えると言わんばかりで、ゾクゾクと興奮している気配すらある。
本来は断食などが代表的な苦行だが、立川でバカンス中のブッダは、2分に1回CMが入る動画サイトに対して「修行がはかどる」と感謝している。ブッダをいつもそばで見ているイエスは、ブッダが苦行に耐え始めることを「苦行スイッチが入った」と表現する。

『聖⭐︎おにいさん』を読んだ後に日常に戻ると、「あ、苦行きた」と思う瞬間がたくさんある。

インスタントラーメンができた直後、「ねんね」の一言でお昼寝の寝かしつけを始めなければならない苦行。
やっと寝かしつけて好きなバンドのライブ配信を見ていたら息子が起きてきて、映像に合わせてドラムを叩かれる苦行。
やっとやめてくれたと思ったら、ミニカーをソファのひじ置きで走らせるよう強要される苦行。
テレビを見ながらやっていたら、「集中しろ」とジトっとした目つきで睨まれる苦行。

普段だったら「もうほんとやだ。あったかいご飯食べたい。静かに感動しながらテレビ見たい。ひとりになりたい」と絶望するのだが、「最高の苦行ですよ…フフフ…」とほくそ笑むブッダを思い浮かべると、私もちょっと笑ってしまう。

日常は、小さなストレスの連続である。抗ってどうにかなることもあるが、どうにもならないこともある。そんな小さな災難に遭ったら、苦行スイッチをオンにして「これも修行」と笑い飛ばしてみてはいかがだろうか。

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