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私が哲学科に入るまで

私と哲学との出会いは、『ソフィーの世界』という本だった。
小3の誕生日プレゼントにもらったハリー・ポッターよりは先に読んだ気がするから、小1か小2のときだと思う。母はあまり本を読まない人だったけれど、生協のカタログに1ページだけある書籍欄は好きだったようだ。『ソフィーの世界』も野菜と一緒に届いたのだろう。
夢中になってページをめくったのを覚えている。ただし哲学に関する説明を一切飛ばして、だ。つまらない日常が知らない人からの手紙によって劇的に変わる、という筋書きが大変気に入って、ストーリーが展開する部分だけを拾い読みした。ただ後半は読んだ記憶がない。哲学者からの手紙より、魔法使いからの手紙の方がおもしろかったのだ。
結局この本からは、哲学っていうものがあるらしい、それは何かを考えることらしい、くらいにしか身にならなかった。

『ソフィーの世界』のせいとは思えないけれど、私は元来考えごとをする「たち」のようで、そのうちいくつかは今でも覚えている。
小学校の6年間、同じ道を毎朝黙って歩いた。梅の木を見ながらよく考えていたのは、「こんなに目に頼っていていいの?」ということだった。私は頭のてっぺんから足の先までで「私」なのに、目は上の方にちょこんとついているだけ。私の中のほんの一器官にすぎないのに、私は目に見えるものを世界としてとらえて生きている。そのことがふと怖くなるのだった。
6年生で行った修学旅行では、お土産を一切買わずに帰ってきた。親からお小遣いをもらっていたし、旅行中も「お土産を買う時間」というのが設けられていたのだけど、買えなかった。漬け物コーナーの前で、「お土産って何なんだろう?」と考えて始めてしまったからだ。ここでしか買えないものを買ったらいい? そんなもの本当にあるのかな? 観光って何の意味があるんだろう?
中学生の頃は、神社仏閣に近づかなかった。宗教というのは真剣に考えて信仰するもので、神道も仏教も大して教義を知らず信者でもない自分が、簡単に足を踏み入れてはいけない場所だと思ったのだ。

今の私は、世界が目には見えないものでも成り立っていることを知っている。いつか息子が修学旅行に行ったら、私のことを考えてお土産を選んでくれるなら何であっても嬉しい。九州から出てきたおばあちゃんを連れて浅草に行ったとき、浅草寺へ向かうおばあちゃんと母に「私は行かない」と言い張って、ひとりで突っ立って待っていたことを少し後悔している。
だけど、こういった考えごとはきっと私の核になっている。ときどき懐かしく思い出す。

小4のときにひとりで電車に乗る用事があって、駅の本屋で母に頼んで買ってもらったのが板坂元『考える技術・書く技術』だった。
そのころの私の夢は「作家になること」だったからその本を手に取ったのだろう。ケーキが好きな子が「ケーキ屋さんになりたい」と言うように、サッカーが好きな子が「サッカー選手になりたい」と言うように、本が好きだった私は何となく「作家になりたい」と言っていた。だが自分がお話を考えるのは苦手だと気づいていて、文学研究者として本を出している著者の生活に憧れを抱いたのだ。
それから私は古本屋で講談社現代新書や岩波新書をあさるようになった。戦後の文系研究者たちが、研究をどのように進めるかという方法論や研究に向かう心構えを説いた書籍をたくさん読んだ。
その中でも渡部昇一『知的生活の方法』は繰り返し読んだ。そうだ、私がしたいのは一生読んだり書いたりする生活、「知的生活」だ。著者のように図書館に自分の部屋をもらって、本に囲まれて暮らすことに憧れた。

一生のうちで最も本を読んだのは間違いなく小学生のときだ。中学校に上がると部活がおもしろくなって、どうしても読む量が減ってしまった。
三者面談では大学教授になりたいと言った覚えがある。先生は「その分野における優秀さももちろん大事だが、特定のことに情熱を注ぎ続けることの方がずっと難しい」とおっしゃっていた。このことは大学に入った後で身をもって痛感した。

高校1年生のときの進路希望表には、大学で学びたい分野の欄に「言語・思想」と書いていた。外国語が話せるようになりたいとか、『ソフィーの世界』に出てくるような哲学史を勉強したいと思っていたわけではない。私は「なぜ言葉は通じるのか」を知りたい、と感じていた。
本は世界にものすごい数存在する。だがどれも、物質としては似通っている。紙に文字が書いてある、というそれだけのことだ。私はそれを見て感動したり、何かを学んだりする。なぜ人間は、本から何かを読み取れるのだろう? 白黒の模様に心を動かされたり、人生を変えられたりするのだろう?
初対面の人と話ができるということも、私には不思議に思えた。私とあなたは、今までに同一個体のりんごを見たことはない。なのになぜ、「りんご」という語が伝わるのだろう?
私が話したり書いたりすることで、誰かが私の気持ちを「本当に」わかってくれることはあるのだろうか? 「伝わる」とはどういうことなのか? 文字や音声が意味を持つとは、果たしてどういうことなのか? 
言葉への関心なので、てっきり「言語学」という学問を学べば謎は明らかになると思って、言語学科のある大学を調べていた。だが受験勉強の合間の、ネットサーフィンならぬ電子辞書サーフィンで「言語哲学」という哲学の一分野があることを知る。これが私の学びたかったことだ! と、哲学科に進学することを決意した。

哲学科で私が専門に研究したのは、ヴィトゲンシュタインという哲学者だ。彼を知ったきっかけは、さくらももこさんだった。さくらさんのエッセイが好きで、小中学生のころブックオフの105円コーナーで文庫本を買い集めていたが、その中の一冊に『ツチケンモモコラーゲン』という対談集があった。「ツチケン」こと土屋賢二先生はお茶の水女子大の哲学の先生で、さくらさんと張り合うくらいに話がおもしろいので衝撃だった。土屋先生もエッセイを書いていて、やはりブックオフで買った文庫本を読みあさったり、それが連載されている週刊文春を本屋で立ち読みしたりしていた。哲学とは無関係な、よい意味でバカバカしいエッセイだったので、土屋先生が真面目に哲学の話をしている新聞記事をたまたま見つけた時は驚いた。ご自身の研究遍歴として、アリストテレス、ハイデガーと並べてヴィトゲンシュタインを紹介する記事だったと記憶している。なぜかヴィトゲンシュタインのことだけ印象に残ったのだった。これは中学生のときの話だと思うから、私が哲学科で言語哲学ウィ研究するための伏線はこのときすでに張られていたのかもしれない。結局卒業論文も修士論文もヴィトゲンシュタインについて書いたので、この出会いには長いことお世話になった。

人生とは得てしてそういうものだが、「哲学科に入る」というひとつの出来事に至るまでにもさまざまな要素が複雑に絡み合っている。そのどれかひとつでも欠けたら、あるいはもっと衝撃的な出会いがあったなら、私は今の私ではない。今朝シンクにぶちまけてしまった紅茶の茶葉にも、私の人生にとって何かよい意味がありますように。

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