他人の悪口や噂話には、できることなら乗りたくない。

学校でも職場でも、たぶん人がある程度集まる集団の中ではたいてい「悪口」「噂」が存在します。

直接相手に「あなたのここが嫌い」「なんとなくあなたが苦手」のような言葉をぶつけるようなことは多くなく、陰で、当人がいない時に「あの人ってきつもああだよね」「あの人だけは絶対無理」のようにバレないように話す方が圧倒的に多いと思います。

「共通の敵」がいると結束が強まるとよく言われます。

これまで学校や職場でも、その場に居ない誰かのことを笑ったり悪く言ったりして盛り上がっている会話を耳にしたことは多々あります。

それによって、悪口を言っている「対象」と「私たち」を切り離し、「気持ちが分かり合える私たち」の絆は強くなっていくんですね。


そういう理屈、つまり人と仲良くなる上で「悪口」「噂」は便利なものなのだと頭ではわかっているのですが・・・

私はどうしても、そこに加わりたくない、便乗したくないと思ってしまいます。

そこに加わって一緒に誰かを笑ったり悪く言ったりするくらいなら、(いじめられるなど不当なことがない限り)「孤立してもいいや」と思ってしまうんです。


ただ、自分がそういう考えでいるから、「集団」にたいして、「悪口を言っているのではないか」と疑ってかかってしまう部分があるのは否めません。

集団で、みんな同じ意見で、「私たちは仲間!」みたいな空気を感じると、「羨ましい」「仲間に入りたい」よりも「怖い」が先に来てしまうんです。


でも、自分から「悪口」を言わず、誰かにその話題を振られても「そうなんですね ~」と適当に流してきたことで、(自覚している範囲では)私自身が攻撃される「対象」にならずに済みました。


悪口で強まる絆や結束って結構脆いものだと思っていて・・・

悪口を言う人、人の悪い所を目ざとく見つけて誰かに告げ口する人というのは、他人を見る目がとても厳しく、「許せない」心を持っているんだと思います。

だからこそ、今目の前で一緒に悪口で盛り上がっている「仲間」にたいしても、実はしっかりと言動を見張っていて・・・もしも自分の中で「許せない」が出てきたら、今度はその相手が「敵」になってしまうんですね。



私がそういう話題に乗りたくない理由は、「自分が対象になりたくないから」という自衛のためでももちろんあるのですが、単純に「(話していて)ゲンナリするから」というのも大きいと気づきました。


先日、ある人と会話をしていたときのことです。


映画やミュージカルに関する話をしていた時に、その人はこんなふうに言いました。


「誰が見ても絶対泣くでしょ!ってシーンってあるじゃん?そこで泣かない人って、神経疑っちゃうんだよね。そういう人とはもう関わらないようにしようって思うんだ。」

「この間〇〇さんと〇〇を観に行ったんだけど、途中でその人の顔ふと見たら、全然泣いてなかったの!むしろ笑ってて…私は序盤からボロボロ泣いてたのに。もしかして、ハマらなかったのかな?って思って残念だったんだけど、後半では"泣いてくれてた"から安心したんだ~。」


こんな話です。


私は「同じポイントで感動出来たら嬉しいもんね」のような事を言って話を合わせてはいたのですが・・・

むしろその話を聞いて、私はその人自身にたいして「苦手かもな…」と感じてしまいました。


映画でもミュージカルでも漫画でも、ストーリーを感じるような作品に対して感動するポイントって人それぞれだと思います。

それに、感動したからと言って必ずしも涙を流すとも限りません。溢れそうな気持ちをぐっと堪えている人もいると思います。

それまでの人生でどんな経験をしてきて、どんな価値観を持っているかどうかなので・・・

「このシーン(作品)は絶対誰でも泣く!」
「泣かない人は神経がおかしい!」
「同じ人間と思えない」
「この作品で感動しないなんて冷たい人だ」

のように決めつけて、それだけでなく、非難するというのはどうなんでしょう。


ただ、もう少し前までは、私にもそんな頃がありました。

自分に自信が無いつもりでいながら、そのくせ自分の価値観や正義感に対する絶対的な自信があって、それとは遠い、真逆な人に対して、一方的に苦手意識を持ったり距離を置いたりもしていました。


だから、否定したくなる気持ちがわからないでもないのです。


でも・・・


もしそんなふうに自分が「冷たい人」「神経がおかしい」なんて決めつけられたり、周りにそう言いふらされたりしたら、とても辛いです。


それに、そんなふうに決めつけている人のそばにいたいとも、正直思えません。

だって、その時はたまたま「(その人のお眼鏡にかなって)セーフ」だったとしても、いつどんなタイミングど「アウト」判定されるかわからないですし、ビクビクしながら付き合わなければならなくなるからです。


「人を嫌いになるのにもエネルギー使うからね~」
「一人でいる時もその人のこと考えてイライラしたり、具合悪くなったりしたら嫌じゃない? 」

最近の私はそんなふうに考えています。


その人にたいしても、そういうことをやんわりと言いました。

私もですが、その人もあまり友達が多い方ではなく、少ない友達にたいして色々不満を抱きながら付き合っているようでした。

そんなにストレスを感じるなら、もう関わらない方がいいんじゃない?と言ってみましたが、長い付き合いだから簡単ではないようでした。 


私は、長い付き合いだった親友と、去年とあることで喧嘩別れしました。

一緒にいた年月や積み重ねた思い出も多くて寂しさもあったけど、無理して合わせていた自分から脱出できたので、今でも全く後悔はしていません。


誰かにたいして負の感情を抱くくらいなら、その人とは距離を置いて、もう頭の中からも出ていってもらう。

そして、負の感情が頭に浮かぶのは止められなくても、それを別の誰かに「話題」として提供はしない。

そういう話で盛り上がったとしても、結局それは「笑い」「共感」と一緒に、「いつか自分も言われるかもしれない」「同じことを思われているかもしれない」という「恐怖」も連れてきてしまうからです。

そんな不安を、好きな人達に与えたいとは思いません。


だから、自衛の目的ももちろんあるけど、私は、その場限りの脆い絆作りのために「悪口」「噂」話には加わりたくないし、振られても適当に流すだけで便乗はしないことにしています。



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