TwitterがXに変わるとき
諸般の問題やイーロン・マスク氏に関しての言及は、多くの方々がされておれれるので、ここではあくまで私一個人のTwitter遍歴について振り返ってみようと思います。
まずは、そもTwitterとはどういった性格のSNSであったのか。Wikipediaにそのヒントを求めてみます。
私がTwitterを始めたのが2007の夏でした。Twitterの開設年が2006.7。Twitter誕生後一年後の加入であり、私がtweetをはじめたころは完全に日本語化はしていなかった記憶があります。
最初はどちらかというとネットサービスに詳しい人たち、俗に言うオタク筋なユーザーも多かったように思います。私も当時二次創作小説を手掛けており、その関連でTwitterをはじめたのでした。
「○○なう」。懐かしい響きですが、そんなtweetも多かったです。いずれにしても、自分の興味に特化したコアなTweet、繋がりのゆるさ、その自由さがTwitterの魅力であったと思います。
それが変化してしまったのは、マスク氏の買収問題に端を発するものではないと、私は捉えています。同様の考察をされておられるnoteクリエーターさまもあり、表現が類似してしまうかもしれませんが、この記事は私・春永睦月が自分の文責により自分の考えを拙く纏めていることをご理解頂きたく。
例えば、note公式が優れたクリエーターさまの記事を取り上げておられます。私も示唆を受けたので、ご無礼を顧みずリンクいたします。
やひろさまの優れた記事の後では恥ずかしい限りですが、自分の考察に戻ります。
Twitterの変質は、やはり東日本大震災でしょう。あのとき、Twitterの即応性、その有効性が求められました。それは良き面もありましたが、日本において「ゆるい140字のつぶやき、ひとりごと」であった、娯楽に近いメディアであったTwitterに思想色、政治色が匂い始めたように思うのです。
複雑怪奇(苦笑)な記事ですが。これが今のブルーバードなのかなぁ。そんなことを思います。それでも。こんな言葉もあります。あの2010年に、自分へと手を差し延べてくれた人を大切にしろ、と(ネット上でも)。
私は一度Twitterを(便宜上)退会し、アカウントを作り直しています。今のアカウントは二代目です。それでも、最初のアカウントから相互フォローの関係を続けてくださっているFollowerさまがいます。著名な方も、とある音楽家のファン層に属する人もいます。今のアカウントになってからも、あるドラマ(それを基にしたスピンオフ、二次創作小説を書いていました)をきっかけに相互となった大切なFollowerさまがいます。
ネットはネット。そこで一時的に交流したところで、実際に会うことは稀である。それが実態です。そんな中で実際にお会いしたFollowerさまもいます(オフ会ではなく個人的にお茶をしました)。緩くですが、確かにある心。それが見えなくなるまで、青い鳥が飛ばなくなっても、今少し私はXとなったTwitterのタイムライン、その片隅に居続けようと思っています。
この記事を書いていて、ふとこの曲が自分の心情と重なりました。
正義などいらない。欲しいのは正直な心。
それは普遍、どの場面でも当てはまる気がします。この僭越な記事にお目を通し貴重なお時間を割いてくださった「あなた」のタイムラインが、楽しいものでありますように。
拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。