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まずは自分の未来のために。
未来のためにできること 二度目の参加です。
何かを行うとき私はまず自分自身が幸せな気持ちになれるかを考えます。それから、私の横にいる人に少しだけ笑顔を贈ることができたならと。
記憶のバトン。それを私は日々感じています。その遺してくれた希望を伝えられないか。それが私が書く理由のひとつです。
それは過去(戦禍)だけに留まりません。生きる道しるべのひとつに表現作品がある。私は文芸評論の基礎を学ぶ機会に恵まれました。そして21世紀以降はネットで書いています。
文芸で鑑賞論を学び、私は思ったのです。文学に馴染みのない方、それを好みながら次の一歩が踏み出せずにいる人にとり、文学という河を渡るための架け橋、その板一枚になれぬだろうか、と。
以前に勤務していた職場での逸話があります。
当時勤務していた会社で慰安会が催された時のことです。私の直属の上司にあたる方にこんなことを言われました。
「貴女は短歌をやっているそうだね。ウチの部の部長が短歌を学んでいるらしくてね。是非その話をしてあげて貰えないか?」
戸惑いました、職場で短歌の話題に触れるのは。ですが、部長が本気でその話題を求めておられたので「ご無礼をお許し下さい」と前置きし、酒宴の席で部のトップと一臨時職員の私が並んで会話をすることに。
部長は大学時代から源実朝・金槐和歌集を愛読され、NHKのテキストと添削で長く学ばれているとのことでした。
「結社は色々と敷居が高いと思いますが、同好の士はいたほうが良い。当地の集まりに一度参加されてみては如何でしょうか」
私がそう告げると、部長は「今日はとても楽しかった。本当にありがとう」と言ってくれました。その表情は、平素の勤務では見たことのないものでした。
その一件を通して私は感じたのです。一読者の域を出ぬ私に出来ることはこれではないだろうか、と。
文学は単なる学問でも知識の坩堝でもなく、時に道に迷う私たちに生きるヒントを与えてくれる道しるべです。
あなたの文章はあなたにしか書けないのです。その作品は書いた自分自身を救い、その作品を読む方の光となるでしょう。
私はそれを願っています。そうした心が、22世紀、それ以降の時間、人の営みが存在する限り続いていくことを。
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