自分を救う方法
毎朝、起きたら、思い浮かぶことを書いて、ノートの1ページを文字で埋める。それだけと言えばそれだけのことだけれど、数年、続けている。2018年も1日も欠かさずに書いた。
そのノートのページには、何を書いてもいい。
ということにしている。ほんとうに何を書いてもいい。ただし、毎朝、必ず何か書かなければならない。
このノートの読者は、いない。いるとしたら「自分」という読者だが、なるだけ読み返さないようにしている。
時間がたってから読み返すことがあるから、少し先の未来の自分に向けて書いているところはあるかもしれない。
ここに現れているのは何か?
最近少しだけわかってきた。一面には、文学の(もともとは心理学の)世界で言うところの「意識の流れ」がある。
人間の意識は、揺れ動いている、そして移ろいゆくものである、ということが朝のページに向かい合っているとよーく感じられる。
けっして一定してはいない。自分の気分も、意見も…
何のために、こんなことをやっているか?
自分を助けるため? そうだ。それから、自分の中にいる「表現者」を育てるため。──幼い頃の自分には、優しく接してあげよう。
朝のページには、よく過去の自分が出てくる。
未来の自分にも、じつはもうすでに出会っているのかもしれないと思うことがある。
鬱から明けて(原稿を)書きまくっているらしい坂口恭平さんのTwitterによると、正月から「いのっちの電話」(死にたい人はかけてきていいよと公開している彼の電話)は鳴りっぱなしらしい。
彼は自分を助けるためにやっているんだ。と、ぼくは感じて、ありがとう、と思いながらたまにそのtweetを見ている。
ぼくはたまたま、自分を助ける方法を見つけ、その都度、その都度、実践できているだけで。できなくなったら、おしまいだという気がして怖くなることがある。
しかし書くことは自分を助けることにつながり、いまのやり方でゆけば、書くことが尽きることはないだろう。──と自分を励ましもする。
坂口さんが年末、「いのっちの電話」にかけてきた人に、朗読して聞かせたというチェスワフ・ミウォシュの詩「恢復」が読める詩集『世界』を、年末年始、ぼくも読んでいた。もちろん、声に出して、読んでみる。
声に出して読む。
というのも、自分を救う方法のひとつだ。この本のような、静かな声を文字に保存したような詩たちを、声にすることが。
(つづく)
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