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人に期待せず、自分を好きになってみる

最近、人に期待してしまっていた。

まず職場の仲のいい先輩。
数年後に私の配属先が潰れるという噂を聞いて、「パート勤務だから、その時が来たら解雇されてしまいますか」と質問してみた。
すると、「上司に聞いてみないとわからない」という返事だった。
普通の回答なのに、何故か切ない気持ちがした。
先輩は親友と同じくらい話しやすく尊敬していることから、仕事という枠を超えて勝手に近い存在に感じていた。
おそらく心の何処かでは「もしそうなっても、一緒に仕事をしたい」「辞めないでほしい」と言われたかったのだろう。

一方、私は夫にも期待してしまうことが多い。
週5で残業もしながら働いている彼に対して、私は週4定時で働いている分、家事分担はこちらの方が多めだ。
労働より家事が好きだからありがたいことだけど、時折もう少し手伝ってほしいと思ってしまう。
洗濯物取りこんでいる時に食卓の準備を進めるとか、余ったご飯をタッパーに入れるとか、そういう些細なことでいい。
でもそれをいちいち言ったら細かいと思われるかなと考え、結局全部自分でやって不機嫌になってしまう。
「気付いてほしい」といくら望んでも、気付く度合いは人によって違うのだから伝えるほかないのに。

この間実家に帰省した際には、母に良く思われようと自分が期待していることに気付いた。
包容力はあるけど暴言を吐く癖がある父親があまり好きになれないことを、今までは母に打ち明けていた。
しかし母が家族みんなで仲良くすることを望んでいるのを認識しするにつれて、自分がナイーブだったから嫌なところばかり目についてしまったのかなと反省した。
「色々言われたけど、父のことを今は尊敬している」
そう母に伝えた時、大人になってもまだ親に認めてもらいたい自分がいることに気付いた。


人に期待するということは、
相手に対して「〇〇してほしい」という具体的な理想があるということだ。
この思考の癖は、「こう思われたらどうしよう」という不安と表裏一体であることが多い。
つまり、自分自身に縛りを与えてしまっているからこそ、人に対しても「期待」と言う形の縛りを与えてしまっていたのではないかと思う。

今日、たまたま聞いていたpecoちゃんとJESSICAのポッドキャストで印象的な言葉があった。
pecoちゃんは親にほとんど怒られたことはなかったが、「どういう大人になってもいいけど、自分を好きでいて欲しい」とだけ言われて育ったという。

なんだかすごく、胸に響いた。
私は人を大切にするどころか、自分をうまく好きになれていなかったと思う。自分がここに存在していいという承認を他者に求めているから、「好きでいて欲しい」「助けて欲しい」「良く思われたい」とつい思ってしまうのだろう。そのくせ人と対立する勇気はなく、今まで多くの人間関係を自ら断ち切ってきた。これまではそれで良かったけど、今周りに居てくれている大切な人たちは、同じように手放したくない。

本当は自分を好きになりたいし、大切な人のありのままの姿を好きでいたい。

そのためには人に期待するのをやめて、まずありのままの自分を受け入れることから始めよう。
そしてもし本当に相手にしてほしいことがあったら、ちゃんと言葉にして話し合うことを恐れずにいよう。

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