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【心】壊れてしまった私の内側

高校二年生の六月一日、突然不登校になってしまった。
極上の優等生というほどではなくても、それまでは
成績はそこそこ、校則違反はなし、欠席もない私が突然全く来なくなって、
担任の先生もクラスメイトもだいぶ心配してくれた。
が、その心配が私の「心」に届くことはなかった。

原因となるものは、なんだかわからなかった。
正直今でもわからない、何故いけなくなってしまったのか。
だれかにいじめられたわけでも、成績が落ちたわけでも
学校がいやなわけでもなかったのに。
私の足が学校へ向くことはなかった。

学校へ行けなくなった私は、朝から晩まで寝ていた。
起きると夕方、かといって夜更かしするわけでもなく
ただただ一日中眠っていた。
それまで大好きだったゲームも、全然ではなくてもあまりしなくなってた。
とにかく眠っていた。

多分、必死で現実から逃げていたんじゃないかと思う。

まだうつ病という名前もあまり浸透していない頃で
勿論自分でも病気だという感覚はなくて、
ただ幼い頃から描いていた「ならなくてはいけないちゃんとした人間」から
どんどん外れていく、どんどんずれていくことだけは自覚していて、
それでもどうしようもなくて、
起きている間は「死にたい」という言葉だけを繰り返した。

正確にいうと「死にたい」ですらない。

「死ななきゃいけない」というような義務感

勉強ができない私は生きていても意味がない

学校にいけない私には生きている価値がない

早くいなくなれいなくなれ

祈るように願うように毎日、呼吸だけしていた。


それでもどこかで、私はまだ優等生でいたくて、
ちゃんとした子でいたくて、
その自動優等生機能のようなものは働くことをやめなくて、
不登校の生徒を対象にしたカウンセリングを学校で受けさせられた時は

「なんともありません」

と答えていた。
実際原因がわからない以上、答えることはできないんだから
こうやって言うしかなかったんだけど。

「ちゃんと生きることが出来なくなった」私は
そんな自分を受け入れることもできずにさらに
生きることを放棄して、どんどん悪循環へとはまっていった。

病気だという自覚もないままだから、治すということもできない。
何もできない。ただつらい。

何がつらいのか、どうしてつらいのか、せめて向き合えれば
よかったのかもしれないけれど、何もわからなかった。

何も。


「いい大学に行かなくては」
だってそのために生きてきたんだから。
そうしないと生きていけないんだから。

でも私はもうシャーペンを持てなかった。
参考書を開けなかった。
毎日何個も覚えたイディオムも
古文の単語も、歴史の人物名も西暦もあの日から
一つも覚えることが出来なくなった。
放課後にみんなで勉強した、それに参加することもなくなった。

全く勉強が出来なくなってしまったけれども、
それまで積み重ねてきたものと、先取りで勉強していたもののおかげで、
そのあとのテストで赤点をとることはなく、
留年も退学もさせられず卒業の日を迎えた。

友人たちは、名門と呼ばれる大学へと進んでいった。
対して申し込んだだけのセンター試験を受けることもなく。
未来には何もなかった。

絶望にまみれた10代。地獄でしかなかった10代。

あまりにももったいなかったなと思う。
もし戻れたら、なんて考えるだけ無駄だけれど、
それでも。あの時の自分に声をかけたいと今でも思う。


きっと「私」は何も聞かないのでしょうけれど。苦笑

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yulia
日々を生きていく力にします。本当に、ありがとうございます。