357.空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。
古代ローマで哲人皇帝と呼ばれた、マルクス・アウレリウスの手記『自省録』の言葉を紹介します。
これは石にとっては、投げられて上がろうが落ちようがそれ自体は何にもならないということです。
言葉通りですが、上がったら良いわけでも、落ちたら悪いわけでもありません。
経済学者の成田悠輔氏のスピーチ動画でこの言葉について言及されていました。
これは、石という存在を人生や自分自身に置き換えられるかもしれません。
上がっているか、下がっているか、わからない状態になることもあるでしょう。
何が良くて、何が悪くて、そんな正解を求めたくなるときもあるでしょう。
そのときに、ふとこの言葉が蘇るのです。
石は投げられても、石なのです。
私が私であるということ
上下は関係なく、大事なのは石が石であり続けるように、私という人間が私であり続けるかということ。
成功か失敗かは主題ではなく、私の存在として相応しい行動であるかどうかが大事ではないかと説いているそうです。
僕の勝手な解釈としては、上がろうが下がろうがどこに向かっているかの方が大事だという観点もあるなぁとか思ったり。
この言葉には続きがありますが、哲人としての感覚はあまりに深く、僕の人生経験ぐらいではまだ完全に解釈しきれないようにも感じます。
今を切り取ると、上がっていたり下がっていたりするでしょう。
ただその自分自身は、どこに向かっていますか?
自分自身に相応しい行動だと自負はありますか?
成功が世の中の正義でも強者でもありませんので。
とはいっても成功願望は増していく一方ですから、その想いには純粋でありたい。
そしてその過程でいろんなことが巻き怒ったときに、ふとこの哲学的な言葉を思い出してみる。
そうして2,000年も前の人に救われていって、また時間を置いて奮起する。
たまにはそんな時代を超えた救世主に頼るのもいいかもしれませんね。