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夏の思い出。講座「くらしの中の地学」

 沖縄に住むことになった。
 知り合いもいない、親戚は更なり、ということで、大学の公開講座に参加することにした。転勤族は早めに公民館講座・ご近所の会館に顔を出すのがセオリーだ。
 自分が参加できるもの・・・地域・文化がわかるのがいいなぁ、ということで、「くらしの中の地学」、『くらし』の三文字に惹かれて参加することにした。昼間1週間ぶっ続けであるらしい。
 『くらしの中の地学』で思い浮かぶのは主婦としてのあれこれしかない。風景とか。建設資材や宝石や。あ。気候とか?地学の新知識もあるかも?

(付記)昔の資料をひっくり返してみたら、当時の案内が見つかった。
 7月15日(月)~19日(金)10時から17時
 募集人員 30名
 受講対象者 一般市民
★ 「一般市民」とあるが、この日程は研修ではないか?と今にして思う。

 大学は丘の上にあった。門から校舎への坂、雑草の間に白ユリが咲いている、なんともいえない草の匂い。
 建物は新築で白亜のなんとか。
 窓からは太平洋と南シナ海が見渡せる(もちろん、同じ窓からではない)。なんてこと。
 ちょっとウキウキした。

 南国の明るい光が溢れる教室は、夏の匂い、太陽の匂いがした。
 笑顔のK先生、自己紹介にみんなも笑顔。遠島からの参加者もいた。

 和やかなのはそこまでだった。
 「くらしの中の地学」講座は、地震の写真(スライド)から始まった。ちょっと。いや、正直度肝を抜かれた。こういう写真は苦手だった。苦しくなる。
 K先生は、前任地で体験した地震の衝撃、揺れの衝撃とその後の火災・盛り土の崩壊などを体験して、地球科学者として、
「地震は仕方ない、しかし、この被害はなんだ」
と、思ったのだそうだ。日ごろ危うく感じていた現場、地震後にすぐ飛んで行った。そうしたら案の定、宅地崩壊を起こしていた。
 それもして、
「学者の責任」
も、痛感したという。正しく警鐘を鳴らすこと。知見を広げること。
「地震はある、今日はないかもしれないが、いつかある」
このことである。

 私の中で、突然、「暮し」がリアルになった。新しい視点からいろいろなものが見える。しゃれた建物としか見ていなかった、ガラスのビルが凶器に見えてくる。牧志公設市場で被災したらどうなる?危機感。
 みんなの中に「暮し」と「地学」が熟成していく。
 午後は、軽石の話から始まった。1927年に海底噴火があり、多量の軽石が漂着した。これは何を意味するのか?
 現在オキナワに大きな地震の記憶はない、けれども、火山があり海底には地震の痕跡がある。海に隠れて小さな地震が見えないだけだ。いつ本島に当たるか、は、わからない。
 このころ(1980年台)、「沖縄には地震がない」という神話が囁かれていた。みんな、台風対策には余念がなかったが、地震対策はお粗末だった。
 K先生は危機感を募らせた。

 そこから、地震のメカニズムや、こう動くとどうなるのか、例えば海底でずれが起きると津波になる、ずれの前後は破砕帯となって地盤がわるくなる、など。確か昔聞いた知識だが、台形の箱がずれる図ではわからなかったリアル、というか、こちらへの影響が「悲惨な被害」になりうるという想像をともなって、大地の動きが理解できる。大地、生きているみたいだ!
 動かざること大地のごとく、で、体感としては『そこにあるもの』としか感知できないんですがね。尺度が違う。それもおぼろげに理解できる。

 地学ってこんなに面白くて切実なものだっけ?というのが感想。

 「くらしの中の地学」講座はシリーズで、1週間・5日の日程だった。
 沖縄の石も見せてもらった。石でなく「岩石」というのだそうだ。その辺の崖のうち、表面が自然のまま岩石がでているものは「露頭」というのだそうだ。崖と断層とは違う。へえ。
 あとで聞いたら、参加者は先生方が多かった。地学を志す若者がそう多くない現状、まだ若い学問である地学への理解をしてもらうため、先生方に声をかけた(先生同士が呼びかけた?)と聞いた。確かに後半は高校の授業のようで、主婦にはちょっと歯ごたえがあった。

 せっかく出会えたこの仲間、また会いたいね、と言って別れた。
 多分、みんな、地学好きになったのだと思う。
 そして、災害に対する見方が変わったと思う(何かできるかも?)。

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