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#熟成下書き「南の島の地学旅」
#熟成下書き・・・もう一遍を・・・
よろしければ、お立寄りください
ゴロゴロとした石野原。海岸がちかい。黄色い四角いコンクリートブロックの建物がぽつんとあって、そこが今日のホテルだった。
迎えの車が港について、私たち一行はマイクロバスに乗り込んだ。
10数名。
初めての離島巡検だった。それまで、本島内での巡検は何度か行い、岩石を並べて自己満足に浸っていた。
バスは、緑の多い道を行く。そして開けたところに出たと思ったら、賽の河原のようなゴロタ石の広場、そして黄色い宿に着いた。
世間は夏休み。荷物を背負って車から降りる。もう夕刻というのに、じりじりとした太陽が服の上から肩を焼く。もちろん頭は吹き出る汗ですぐにびっしょりになって、ぽたぽたと落ちた。
私たちは「××大学公開講座 地学巡検」に参加していた。
K教授(専門は花崗岩)は、高校の先生方のためにもこの講座を企画したのだと思う。沖縄の本土復帰から10年。占領下のカリキュラムに「地学」はなく、大学の地学学科を受験する生徒は少なかった。それもあって、K先生は、高校の理科系の先生方に精力的に講座を打っていた。勉強会に呼ばれたら行くし。会合にも参加していたという。
だが、座学では限界がある、地学は現場がなんぼの学問。生徒に見せる岩石(ほかの人にはほとんど”石ころ”)は売っていない。でも、島に岩石を見に行くにはそれなりの時間もお金もかかる。それで、公開講座の場を用意し、一般市民・学生にも応募してもらって、その実績(大学の公開講座なのである程度の人数が集まらないと中止になる)の上で先生方にも参加してもらう。
K先生は赴任されたばかりだったと思うが、人脈を掴んでいらっしゃって・・・協力者や支援者が本島にもだが、離島にもいるらしく。それで、公開講座での島巡検が実現した。
今回の公開講座の参加者は、10数人。
参加者の半分くらいが先生方だった。それはある意味、講座の始まる前から「成功」と言えるだろう。K先生がその向こうにいる生徒たちの集団を見ていた、高・中・小学校の先生がた。その中にN先生もいた。N先生は、私たち参加者のまとめ役をしてくださっている。参加された先生方の中には、現地参加の方もいらっしゃったと思う。
あとは、先生の教え子。他の学科ではあるが・・・卒業生。職員。
そうそう、このグループには大事な方がいる。同大職員の女性「ゆみさん」と呼んでおこう。ゆみさんは以前の公開講座参加者のまとめ役をされていて、仲間(私もその一人)を誘って参加していた。
そして私たち夫婦のように沖縄に引っ越してきたばかりというものが数人いた。先生方以外では、「くらしの中の地学」の受講生が多かった。あと、K先生の知り合いの方がそのつてで参加されていた。
ポスターや広報で初めてこの公開講座を知って参加するという人はいなかったかもしれない。それほど人集めは難しい。
今回は初遠征ということで、先生のご家族も参加してくださった。K先生の奥様とお子さん
K先生の助手として学生が3人。この学生さんたちは10キロハンマーを縦横に振るい、採取した岩石を強力する。卒論を控えていたと思う。
「本土復帰から10年」と書いた。今、2020年台だからもう30年も前になる。それなのに記憶は鮮やかだ。ちょっと曲がって(勘違いして)鮮やかなのかもしれない。まぁ、とにかく、私たち夫婦は地学が門外漢で。この巡検参加が決まってから、1kgハンマーだのルーペだのを買いそろえた。登山が趣味の夫でよかった、私は靴さえなかったから。
宿について30分くらい休んだかどうか。早速座学が始まった。
島の成り立ち、岩石・鉱物の種類。何が採取できるのか。T島にはガーネットがある。K先生が島巡検の1号にこの島を決めたのは『いいお土産』があったからだ、と後から聞いた。
「だいたい、巡検に来ると珍しい岩石を取りたくなる。だけど、大事なのはこの場所でゴロゴロしている普通の岩石だ。その場へ行ってゴロゴロしている岩石というのは、たいていほかの地域にはない。そこでしかない岩石なのにたくさんあるのを見たらみんなぞんざいに扱う」
「ゴロゴロしている、と言っても、そこら辺に落ちているのを拾うのはダメだ。露頭にあるのをハンマーでたたいて新鮮な面を出して採取する」
「採取したら記録を取る。用意してきたか?」
明日の地学を担う先生方を相手に熱弁をふるう。私たち素人も巻き込まれて(私たちのためにも熱弁をふるってくれるのだから!)真剣になる。
学生たちは目を丸くしてみていた。いつも眠い目を擦りながら退屈な気分で授業に参加していたらしい。自分の好きな分野は楽しいけど、あとは卒業単位のために参加する。それに、地学を専門分野に選んだといっても、医学部を落ちて地学系にひっかかった、とかのトラウマ。何となく地学はマイナーな学問ととらえられている風潮(沖縄では馴染みがなかったし)。学者になれるか(助手の方たちは院生でとても優秀)・就職どうしようとか、いかに楽に単位を取るかなどの学生あるあるの世界に彼らもまた生きていて。
その「成績優秀な学生集団」とは違う、今回の講座受講生の変な熱量。まぁ、オタク、かな?
それは、学生たちにとって、おどろきの対象だったらしい。
夕飯を食べてからも、明日の巡検に向けての促成栽培(地学学徒への!)は続いた。
貴重な採取作業、また来ようとしても難しいのだから。一発勝負。
K先生の気合はそういうところだったと思うのだが、一般市民ABにとっては、難しい・わからないの一語に尽きる。ただ、断片だけでも引っかかると面白くて、岩石名はこっそり・・・何度も書いて暗記した(じっさいは「つもり」の域を出ていなかったけど!)。
島の北西、シドの崎にあるという接触交代鉱床のスカルン鉱物
柘榴石や緑簾石水晶
かんらん石
標高100mちょっとはありそうな山がまるごと一つの鉱床
これだけ書いても、よだれが出そうなメニューだ!
かんらんせき、橄欖石、olivine、オリビン)[3]は、鉱物(ケイ酸塩鉱物)のグループ名。
カンラン石は、地球マントル最上部(英語版)の大部分を占め、地上に火成岩として出てきたカンラン岩(peridotite)もマントル由来である[4][5]。結晶化したものは宝石のペリドットである。
素人である私の目標は、きれいな色の柘榴石。じつは、採掘されていたのは工業用のもので、きれいな色のは難しいかもと言われていた。
翌日は、朝早くに宿のバスで最寄りの場所まで送ってもらった。
潮が引いた時刻にポイントの場所を通過しないといけないので、この時間がとっても大切。そのポイントを通過、現地へ着いたら・・・満潮時に岩石採取をして、干潮時にまた現れるポイントをもう一度通って戻るのだ!
鉱石がごろごろしている場所にもガーネットはあって、私たちは石拾いを楽しんだ。
学生さんたちは交代で10㎏ハンマーを揮って、沢山の「新鮮な」岩石を提供してくれた。手慣れた感じで上手に岩石を割る様は、さすがと言えた。露頭の上部まで上がってくれて、割ってくれたのを、私もゲットさせてもらって(最期は自分のハンマーで割る!)。
そのうち、N先生方は、学生からハンマーを借りて、自分の狙った岩石を打ち据えはじめた。(10キロハンマーを自分も持ってくればよかった)くらいの熱心さで、いくらか集めると自分のハンマーで割り初め。それを見た別の先生も「学生さん、僕にもちょっと貸して」とはじまって。
その場で、ガーネットの品評会が始まる。
「へぇ、その大きさもあるんだ」
「結構、黒いよな」
「光に透かすと、いろいろな模様が」
ゆみさんが橄欖石を見つけたとかで、K先生の臨時講座が始まる。
それを聞いて、先生方の目の色が変わり、今度は橄欖石さがしがはじまり・・・
干潮時刻が迫り、慌てて全員一列に戻ることとなった。
話題は岩石。そして、風景。この地の岩石が形成する風景の特徴について、うんちくを聞きながら帰る贅沢。
持ち帰る岩石の重さに閉口して、もう採取はやめようと思ったことは皆には言わない(へへ)。
その夜は、夕食後、車座となっての座学、先ずは、得物の自慢大会になった。先生方はけっこう大きな岩石を幾つも並べ、ちょっとしか採っていなかった私は結構、仰天した。学生さんも驚いていたのが印象的。学生さんたちは勿論、大量に取って来るんだけど、それは卒論のため(ちょっと・・嫌々)。それがっ一般市民がこんなに石が好きだとは!
採取した岩石について、一通りの説明と、素晴らしい岩石採取の成績?ガーネットらしい、とか、めずらしい橄欖石とか、その他にも・・・
それがこの島にある理由などを、地質図を参照しながらわかりやすく説明してくれた。
そして、幹事が用意した現地の酒と肴で宴会が始まり・・・私たちは部屋へ引き上げた。
先生方は、夜明け方まで飲んでいたらしい。
そして、干潮に時間になると、再度、現地へ急いだらしいのだ!
もちろん、10キロハンマーを携え、採りそこなったあの岩・この欠片をあさり・・・空のリュックいっぱいに詰め込んで、その日の予定の時間にもどって来た。
宿に岩石を残し、空のリュックをひっつかんで、次の巡検地へ向う。
その日の真っ白な港とコバルトブルーの海、そして灰色の岩石・・・海岸線にあった縞模様の岩石をうろ覚えにおぼえている。
そして・・・その日は山道を歩いた。
宿に戻ると、夕食、お定まりの座学。そして感想を言いながらの宴会と。
そしてその夜も、N先生方は最初のガーネットの鉱床に行ったらしい。
もちろん、私たちは爆睡して・・・次の日に備えていたので、詳細はわからない。
最後の夜の星の瞬きを覚えているから、その日は外で食べたのだったか。
半世紀も前の記憶だから・・・